10/25(木)コンペティション『ティモール島アタンブア39℃』の上映後、リリ・リザさん(監督/脚本)、ミラ・レスマナさん(プロデューサー)が登壇し、Q&Aが行われました。
矢田部PD:美しい作品を東京に持ってきて下さり、心から御礼申し上げます。
リリ・リザ監督(以下、リザ監督):大スクリーンで初めて上映できて大変ワクワクしました。お付き合い下さって感謝します。また今回、東京国際映画祭ではインドネシア映画に注目し、「インドネシア・エクスプレス」という特集上映を企画してくれました。私にとっても同胞の映画人にとっても大変励みになりました。
ミラ・レスマナ(以下、レスマナ):私も同じです。大きなスクリーンで皆さんと一緒に上映を観ることができて興奮しています。有り難うございました。
矢田部PD:今回、なぜティモール島の物語を撮ろうと思ったのでしょう。
リザ監督:1998年に政変が起こって以来、インドネシアにはたくさんの物語が生まれました。社会が変化し、民主的になりオープンになったのです。映画界も大きな変化を経験しました。私は東インドネシア出身で、東ティモール独立についてもずっと関心を抱いてきました。さまざまなことが変化し、多くの人々に影響を与えたのです。たとえば国境付近では、それまで買い物したり墓参りに行ったりと気軽に足を運んでいた場所が、別の国になってしまった。そうしたことに対する共感が、この映画を作るきっかけになっています。1年前にドキュメンタリーを撮影して、いろんな人にインタビューするうちに物語が芽生えてきたのです。
矢田部PD:ミラさんはこの作品にどんなふうに関わったのでしょう?
レスマナ:監督とはそのドキュメンタリーの仕事でご一緒して、流れで参加しました。初めて組んだのは2009年の『夢追いかけて』で、今回が3回目です。この映画は初心に返って小規模で作ろうと思い、わずか13名で作りました。そのうち、8名はティモール人のクルーです。とてもいい体験になりました。
Q:ニキーアが石を運ぶ場面や、ジョアオがニキーアを捜す場面などで、紙に書かれた十字の三つ葉が出てきます。これは彼女のキャラクターを表現しているのでしょうか?
リザ監督:その図形はニキーアが描いたもので、彼女は石を運んで同じかたちの墓標を作ろうとします。物語としてはそれは3〜4年前、彼女が暴漢に襲われたとき保護してくれた修道院の証という設定です。彼女はアタンブアで難民生活をしています。東ティモール独立運動が起こった時、政治上の理由からこの地に多く難民が逃れてきました。女性や幼い子どもには大変過酷な状況で、多くの修道院が避難所を設けて彼らを保護します。十字の三つ葉は彼女が修道院にたどりついた証です。宗教というものは、信じていれば、自らが進む道標になるのです。
Q:1970年代半ばに東ティモールは独立を宣言しますが、その後もインドネシアに弾圧された歴史を持っています。ニキーアのおじいさんがそのことに負い目を感じているのは当然です。監督は、世代間の感情をどんなふうに表現しようとしたのでしょう?
リザ監督:私は映画監督で政治的なコメントはできません。でも文化的な観点からお答えしましょう。冒頭で、老人が「かつて、この土地はティモールだった。むかし、ここで鳥を探して木を伐った。でも今や目に付くのは、兵士や警察ばかりだ」と述懐します。こうした部分に、老人の気持ちは表現されています。そしてビリヤード場やコーヒーショップでは、誰もが政治の話をしている。世代間の感情の違いも去ることながら、ひとつの土地を共有する兄弟に隔たりができてしまう状況にも関心を持っていました。かつては川向こうに住む兄弟に物を渡すのは簡単でしたが、それも困難になってしまったのです。インドネシアと東ティモールは政治上、友好関係にあり、高官レベルでの交流も和やかです。国境の兵士も卵やインスタント・ヌードルを分け合うなどして仲がいい。しかし一方の国では貧困があり教育レベルも低い。首都ディリから離れるほどそうした状況が広がっているのです。
Q:東ティモール駐日大使として一言。作品の完成をお祝いします。また、今回上映して下さった映画祭にも心から御礼申し上げます(場内拍手)。
矢田部PD:この後で手を挙げづらいかもしれませんが、質問のある方はどうぞ。
Q:本当に素晴らしい作品でした。父親のロナウドは生まれ故郷に戻らず、インドネシアに残ることを選んだのですか。というのも、国から優遇されているわけですよね。家族と別れてまで、政治的信念からインドネシアに残る人がいるのでしょうか?
リザ監督:インドネシア側に逃げた多くの人々と同様、ロナルドには信念があります。何かを信じて逃れてきた。その結果難民となったわけで、こうした人々をインドネシアでは優遇しています。1990年代から2000年にかけて緊張関係が続いて、普通に残っている人もいれば、政治的選択として残る人もいた。とは言え、この作品はフィクションであり、ドキュメンタリーではありません。ロナルドはお金が入ると飲んでばかりいて、家族を顧みない。息子はタクシーの運転手をやって生計を立てています。ところが、物語が進むに連れてロナルドも変わっていく。そしてティモール島の人々にとっては、夢のような結末が訪れます。インドネシア側にいてもティモール側にいても、ティモール人に変わりはない――という結末です。それこそ、多くの人々が思い描いている夢です。困難な問題をひとまず措いて、昔みたいに暮らせたらどんなにいいでしょう。政治的に妻が異なる信念を持ち、家族が別々になる状況は多くの本に書いてあるので、興味ある方はぜひ読んでください。母親のいない家族は今もたくさんあります。
矢田部PD:ドキュメンタリーではなくフィクションというお話でしたが、キリスト教の祭りなどは実景であり、そうした意味では、両者を併せた試みもされたのではないですか?
リザ監督:撮影は丁度、3月から4月にかけてのイースターの時期でした。この地域のカソリック教徒にとって、イースターはクリスマスよりも盛大な祭りです。ちなみに俳優たちも現地の人々で、ドキュメンタリーの仕事で半年間インタビューしていて、ジャカルタから俳優を招くことはないと判断しました。主役の3人は実際にアタンブアで生活している人たちです。市場でも撮影しましたが、彼らは自分たちの暮らしを続けるだけで関与してこない。だから、周囲に溶け込んで撮影することができました。とても美しい土地で、みんな正直で懸命に働きながら、貧困や教育の問題に対処しています。いずれにしても18日しかない撮影期間で、あの祭りが撮れたことは幸運でした。実は滞在中、たびたび葬儀を目にしました。スタッフを連れてやってきた日も、国境の検問所で、亡骸がティモール側からインドネシア側に送られていくのを目にした。大変悲しい状況ですが、家族は国境を渡ることができない。手を振るだけです。事前にリサーチしている間にも、同様の光景を目の当たりにして、その時に撮ったフッテージが映画では使われています。ある家族に亡くなった人がいて、ロナルドが川を渡る前に贈り物をする場面です。葬儀やイースターの映像は偶然撮れたものですが、映画をよりパワフルにしてくれました。
Q:法律的観点から質問しますが、インドネシアでは、ジョアオのように教育を受けた人間は難民でも就業できるのですか?
リザ監督:もちろんです。ジョアウのような子は、高校卒業後も学業を続けることができます。将来的には、公務員やスポーツ関係の仕事に就くケースが多いようです。
ティモール島アタンブア39℃