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2012.11.05
[インタビュー]
公式インタビュー コンペティション 『ティモール島アタンブア39℃』 、アジアの風 インドネシア・エクスプレス 『虹の兵士たち』 『夢追いかけて』

リリ・リザ(監督)、ミラ・レスマナ(プロデューサー)(『ティモール島アタンブア39℃』、『虹の兵士たち』、『夢追いかけて』)
ティモール島アタンブア39℃
 
今年の“アジアの風”部門でも特集された「いま一番注目すべき」アジア映画の発信基地・インドネシア。右肩上がりの上昇カーブをみせているこのインドネシア映画界を牽引するのが、稀代のヒットメーカー=リリ・リザ監督と、その盟友であるミラ・レスマナ プロデューサーであることに疑いはない。
約3年ぶりの最新作『ティモール島アタンブア39℃』(12)を携えて来日した、お二人にお話しをうかがった。
 
――おふたりの最初の“共同作品”である『Kuldesak』(98)が公開された頃のインタビューで、ミラ・レスマナさんが「インドネシアにはガリン・ヌグロホの監督作か、ポルノまがいの映画という両極端のジャンルしか存在しない。だから、私たちが新しいメインストリームの映画をつくっていかなければならない」とおっしゃっていたのを覚えています。この“決意表明”は既に達成されたのではないかと思うのですが、いかがですか?
 
ミラ・レスマナ(以下、レスマナ):当時は、ガリン・ヌグロホ監督の作品は、インドネシア国内では一般公開されていなかったんですよ。もちろん、海外の映画祭での評価は高かったので、映画関係者やファンの間では話題になっていたのですが、基本的には観る術がなかったのです。
 
――統計によると、90年代後半のインドネシアでの映画製作本数は、年間30数本といったところのようですね。
 
レスマナ:そのほとんどがポルノ映画だったんです。この状況に危機感を覚えた私たちは、インドネシアの人たちが気軽に観れて、その後で(作品について)語り合えるような映画をつくらなければいけないと誓ったんです。当時、インドネシアの映画館では、基本的にはハリウッド映画しか上映していなかったんですが、ここに私たちの映画もかけようと。そういう意味では、すべての作品が成功したワケではないですが、メインストリームの映画をつくるという私たちの思いは、ひとまず達成できたんじゃないでしょうか。
 
――『虹の兵士たち』がインドネシアで大ヒットをしたということは知識として知っているのですが、どうにもイメージがわきにくいといいますか。それは例えば、ハリウッド映画の超大作『アメイジング・スパイダーマン』や『ダークナイト・ライジング』のような盛り上がりだったと想像すればいいのですか?
 
レスマナ:(リリ・リザ監督に)『アメイジング・スパイダーマン』よりは盛り上がっていたわよね(笑)。
ティモール島アタンブア39℃

©2012 TIFF

 
リリ・リザ(以下、リザ監督):インドネシアに限ったことではないですが、映画の(実質的な)ヒットをはかる基準として、映画館にどれだけ入場待ちの行列ができているか? というのがあるかと思います。僕の最初の長編監督作『シェリナの冒険』(00)や、ミラがプロデュースした『ビューティフル・デイズ』(02)は常に長蛇の列で、場合によっては劇場の外にまで列が延びることがありました。もちろんハリウッド映画でも入場待ちの列はできるのですが、並んでいる人の雰囲気がちょっと違います。例えば、スパイダーマンやバットマンのコスプレをしている人がいたり、全体的に若く、欧米のヒップな音楽を聴いているような感じで。
それに対して『虹の兵士たち』は、家族連れがバスに乗ってやって来て、チケットをどこで買っていいかわからないでいるという光景が見受けられる。また、これはインドネシアの変なところでもあるのですが、人口が2億5000万人もいるのに、スクリーン数が600程度しかないんです。テレビは隅々まで普及していて、映画のテレビCMは頻繁にオンエアされているので、映画そのものはポピュラーなんですが、映画館にアクセスする術がない人が多数いる。そういう状況なんで、認知度という点については『アメイジング・スパイダーマン』よりは『虹の兵士たち』の方が上だったかもしれません。

 
――『虹の兵士たち』はミュージカルにもなったんですよね。
 
リザ監督:その作業があったんで、前作の『夢を追いかけて』から2年間、映画の製作をストップしていたんです。ミュージカルはライヴのオーケストラを入れた本格的なものだったんですが、おかげさまで大成功でした。ジャカルタでは75ステージ、シンガポールでも3ステージ上演しています。『虹の兵士たち』ファンの皆さんは、原作小説を読んで、映画を観て、ミュージカルを体感するという、エキサイティングな体験を繰り返されていたんです。
ティモール島アタンブア39℃
 
レスマナ:『虹の兵士たち』は「歌にできる」物語だと、私たちは確信していました。ミュージカルというのはインドネシアでは比較的新しい文化で、まだあまり観た人はいないのですが、『虹の兵士たち』は家族の物語ですし、家族みんなで楽しめるミュージカルがつくれるだろうと。また、素晴らしい音楽監督と出会えたことも大きかったですね。これまで私たちは映画関係者とだけ仕事をしていましたが、このミュージカルでの、舞台方面の才能との出会いはかけがえのないものでした。
 
――さて、最新作の『ティモール島アタンブア39℃』ですが、『虹の兵士たち』のような幅広い観客層を対象とした作品とは大きく毛色が異なります。この作品をインドネシアでしっかりと観せていくことは、あなたたちにとって、インドネシア映画界にとっての新しい挑戦になるかと思いますが、いかがですか?
 
レスマナ:確かにそうですね。ただ、私たちの映画づくりの基本は「そこに語るべき物語があるか」であって、決して「多くの人に観てもらえるか」ではないんです。結果的に大ヒットにはなりましたが、『虹の兵士たち』でもその考えに変わりはありませんでした。
もちろん『ティモール島アタンブア39℃』は低予算映画ですから、具体的にいえば、前作『夢追いかけて』の製作費120万米ドルの10分の1の12万米ドルでしたので、当然、その規模に見合った興行形態にはなります。プリント本数も、前回は100本、今回は20本です。このような作品が喜ばれるであろう地域や劇場をリサーチして、選択的な上映をしていくことになるでしょう。その結果、評判がよければ公開規模の拡大も考えますが、まずは様子をみながらですね。映画館のない、東ティモールや東ヌサ・トゥンガラといった地域でも、例えば無料の野外上映会ができるように、いま、資金を集めているところです。
 
聞き手:杉山亮一(映画ライター)

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