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2012.11.06
[インタビュー]
公式インタビュー 日本映画・ある視点 『NOT LONG, AT NIGHT 夜はながくない』

遠山昇司監督(『NOT LONG, AT NIGHT 夜はながくない
NOT LONG, AT NIGHT 夜はながくない

©2012 TIFF

 
今年の2月に亡くなったポーランドのノーベル賞詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカは、映画を撮る者にただならぬ影響を与えてきた。これまですでに2本もの有名な映画が『一目惚れ』という彼女の詩に着想を得て制作されている。クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『トリコロール 赤の愛』と、ジョニー・トー監督の『ターンレフト・ターンライト』がその2作品である。遠山昇司監督の最新作である『Not Long, At Night 夜はながくない』もまた、彼女の詩からインスピレーションを受けた作品であり、とりわけ生と死のメタファーとして海を詠っているところに触発されたという。
 
「海を見ながら僕は育ったんです」
ロードムービーとして作られた作品の舞台の大部分が海である理由を聞かれ、遠山監督はこう答えた。実際、そうした海のシーンは監督の故郷である天草近辺で撮影されている。「すごく特殊な地域で、映画『リング』の貞子のモデルになった千里眼を持っている人が、この海のそばで生きていました。天草のちょっと手前の不知火というところです。歴史もいろいろ抱え込んでいるものがあったり、いろんな人が死んだり、いろんな人があの島では生きているっていう、生と死が内包されている場所です。天草という地域はそういった様々なものを受け入れてきたんですね。そして海に囲まれている島ですから、海自体からもぼくは生と死を感じるのです」
NOT LONG, AT NIGHT 夜はながくない

©2012 TIFF

 
映画は、玉井夕海の演じるひとりの女性に焦点を絞る。彼女は人生での大きな喪失をなんとか受け入れようともがいている。夢に問題を抱えている彼女にとって、夜はなるべく訪れたくない国だ。ふと思い立ち、彼女は持っているものをほとんど捨て去り、車を盗み、どこへ行くとも、何をするともなく、東京を出発する。遠山監督は、同時にいくつもの方向へ流れるかのような自在な時間の概念で、観る者の均衡を揺さぶる。あるシーンでは、主人公の女性は、未来をあたかもすでに起きた出来事のように思い巡らせ、過去をどうにかして変えることができるかのように考える。
 
「彼女は、人生の喪失をなんとか理解しようとします」
遠山監督は、結婚式を間近に控えた彼女に友人たちがお祝いの言葉を送っているビデオについて語る。「彼女はビデオをつぶさに観ながら、何が起こったのかを見極めようとしますが、同時に彼女は自分を責めているわけです。そういった彼女そのものを、ぼくは最初の停電のシーンにちょっと託したところがあります。不条理に停電することは、何か彼女の負の要素なのか、このあとのストーリーへの予感を見せたかったのです」
NOT LONG, AT NIGHT 夜はながくない

©2012 TIFF

 
どのようなロードムービーであれ、主人公は道中で見知らぬ人々と出会う。ただ普通なら、出会いは新たな気づきをもたらすことになる。遠山監督にとっては、道すがら出会う人物――海辺でシェークスピアを朗読する盲目の少女、道で拾った壊れたタイプライターを持ち運ぶ雄弁なゴミ焼却炉の作業員、病で生死の瀬戸際にいる父親を持つ若い男――は、いつでも彼女の気持ちを映しだす鏡として用いられている。「彼女の心象と周りの世界をつねにマッチさせるようにして撮りました」と監督は言う。
「『夜』という概念は、この映画では非常に重要な要素なのです。それで未熟な盲目の少女が出てきますが、彼女は一所懸命恋をしたいけれどできない。少女が海に向かって言うセリフは、ある種の自立性というか、自分がひとりの女性として生きていくという強さをこめた言葉です。ぼくはロードムービーが大好きですが、性格上、普通に終わらせたくなかった。ロードムービーは最後に答えを出す必要はないと思っています。だから主人公があのあとどうなるのかは、我々は知るべきではないのです。彼女の人生はまったく変わってしまうのかもしれないけれど、それは誰にも分からないことなのです」
 
この不確定性が、生も死も我々にはどうすることもできないという遠山監督の死生観の核にある。「目の前にあることを素直に見つめてぼくはこの映画を作ったので、目の前にあることをただ素直に観ていただけたら一番嬉しい」と遠山監督は言う。旅の冒頭で彼女は持っている物を捨て、「他者によって捨てられた物を拾っていく」プロセスで自分自身を再発見していく。主人公は今という瞬間に生きていて、それが自然な在り方だと感じると監督は言う。「この映画の役者の多くはプロではありません。ありのままの、彼らそのものを撮ったつもりです。そこに誰しもが経験する生と死が織り込まれているのです」
 
夜のシーンは、幻覚を起こさせるような、不安な気分が漂うが、遠山監督は昼より夜のほうが好きだと言う。
「静まり返った街でマンションからシャワーの匂いがしてきたり、眠っている街でも起きているところがあったりして、そこにエロティシズムやドキュメントを感じるのです」
 
(聞き手:フィリップ・ブレイザー)
(本記事は映画祭公式英語サイトに掲載された記事を翻訳したものです)

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