榎本憲男監督(『何かが壁を越えてくる』)
地震と津波の余波により、多くの映画製作者は作品づくりに影響を受けた。日本が復興に取り組み続ける限り、その影響が止まることはないだろう。榎本憲男監督の『何かが壁を越えてくる』は斬新な手法で挑んでいる。本作はジャンルの固定観念を打ち砕き、小津作品のような哀愁を帯びたエンディングで結ばれる。本作の着想やアイデア、そして日本の若者の将来について語ってもらった。
――ご自身の経歴についてお聞かせください。数年前の長編監督作『見えないほどの遠くの空を』は数々の映画祭で上映されましたね。
榎本憲男監督(以下、榎本監督):『見えないほどの遠くの空を』は2年前に、私が51歳の時に撮ったものです。それまでは同じ映画の分野の仕事、劇場の支配人、配給や製作プロデューサーの仕事をしていました。映画会社のサラリーマンとして働くかたわら、シナリオを書いていました。
――学校でもシナリオを教えていたそうですね。
榎本監督:10年くらいやっています。
――書いた脚本が他の監督によって映画化されたことも?
榎本監督:もちろん、そういう事もあります。
――この映画でまず関心を抱いたのは脚本です。この後どうなるのか読めず、手法も独特で、ストーリー展開が驚きの連続でした。この作品の脚本についてと、監督の脚本に対する考えを聞かせてください。
榎本監督:シナリオの勉強をしているうちに、あることに気がつきました。映画祭と映画マーケットの間に大きなギャップができていて、どんどん広がっているということです。2000年ぐらいから真剣に考えはじめました。映画祭では評判が高いのだけれど、興業的にはすごく苦労する。利益が上がらないのです。僕がやっているような低予算の、単館系の作品ですが、そういった映画は映画祭で大ウケして、その熱を伝えていきながら興業を成功させるという手法をとってきました。それがうまくいかない、映画祭ではウケるのに興行で宣伝すると熱が冷めていく、そういう状況が2000年ぐらいから出てきました。この時に物語の力を強めないと、今後のアートハウスフィルムというのは成り立たないのではということを考え始めました。ところが、普通に良くストーリーが書けるだけでは駄目なのです。「第 1 幕:セットアップ(序)、第 2 幕:コンフリクト(破)、第 3 幕:クライマックスと結末(急)」は当たり前であり、そういう脚本に高額な予算をかけ、派手にしてスターを出演させると、エンターティンメント映画としては成功します。しかし、これを低予算映画でやったら、興行的に商業映画には太刀打ちできません。惨敗すると思います。
面白いストーリーであること、しかし同時に従来の映画では見たことのないものを導入したいと考えました。それでジャンルを変えていく、つまり観客が最初に見るつもりだったジャンルとは違うジャンルに観客を連れていき、そのサプライズに快感を覚えるようなふうにできないかな、と考えたのです。それを第1作目の『見えないほどの遠くの空を』でも試してみました。わりと好評でしたので、もう一度同じことを35分という短編の中で、凝縮してやったのが今回の作品です。それが手法としての目新しさだけではなく、新たな世界観に繋がるようにしたいというのが僕の狙いでした。手法だけが新しいとか、手法を表現するのではなく、手法によって世界をどう感じるのかを表現したいんです。世界というのは自分が感じているとおりにあるではなく、刻々と変わるものです。「こうだと思っていたのに、実際はこうだった」ということはよくあります。例えば震災前と後では、世界の見えかたが完全に違います。そういうことも含めて、その手法で世界観を表現したいのです。
――ロードムービーから、暗い夜道を進むにつれ、ホラーの様相を呈してきて、朝にはまったく違う映画になっている。ただ、本質的には3.11の物語であると考えると、これは長いホラー映画なのではないかとも思えました。最後の海が映し出されるシーンで、壁を越えてきた津波はまだそこにあり、また越えてくるかもしれない。
榎本監督:そういう大きな意味ではホラーですが、物語というのは人間の変化を描くというのが基本にあります。主人公のレイラは物語の最後にほんの少しだけ変化がありますので、完全にホラーとして終わっているわけではありません。
――一番最初に見る海と最後に見る海は、同じく穏やかに見えるけれど、その間に起きた悲劇によって違って見えます。
榎本監督:不幸の中に幸福があり、幸福の中に不幸があるというような、二重性みたいなものが自分は表現として好きなんです。僕はアメリカ映画が大好きなんですが、エンディングに関しては不幸ではあるけれども完全に不幸ではない、そういったものを描きたいという気持ちはあります。主人公が完全に敗北する事によってリアリティを出そうとするエンディングは嫌いです。すごいハッピーエンドというのは嘘につながると思うので、あいまいな日本語で言うと“やや勝ち”とか“やや負け”“ほぼ負け”が好きなのです。
――タイトルもそうですが、映画の中で壁のイメージがよく使われています。例えばレイラには東北に暮らす家族との隔たりという内面的な壁がある一方で、本来は人々を守るはずだったが機能しなかった物理的な壁も描かれています。被災地、登場人物、そして今の日本社会における壁についてお話しください。
榎本監督:壁を越えて来るとは全く想定していなかったのに、あの津波は越えてきたわけです。それは予想もしなかったことで、大丈夫だと思ったものが大丈夫ではなかったと。ところが人間はそういう大きな衝撃を受けると、心を鈍感にすることによって大丈夫だと思い込もうとする。それが彼女の心の壁なのです。最後にあの光景を見た時に、壁は崩されて乗り越えられてしまうと知る。それは人間にとっていいことなのではないかというのが僕が描きたかったことです。
――影響を受けた映画は?
榎本監督:どちらかというとヨーロッパ映画よりアメリカ映画を見て育ちました。特に好きなのは70年代のアメリカ映画です。ニューハリウッドと呼ばれている時代で、興行成績はあまりよくなかったのですけれども、映画の質は素晴らしいと思います。日本でも1960年代というのは観客数が激減した時代ですが、その頃に作られた日本映画は非常に質がいい。そういった時代にあたるのが70年代のアメリカ映画だと思います。おそらく多分にヨーロッパ映画の影響を受けている人間が作ったのだと思います。もう一つ好きなのはアメリカ映画の影響を受けたヨーロッパ映画で、ジャン・ピエール・メルヴィルがその例です。70年代のアメリカ映画の例で言うと、ヨーロッパからやってきたロマン・ポランスキーの『チャイナタウン』。すごくアメリカ映画っぽいのだけれども、まさしくヨーロッパ人が撮っているという感じもする。そういったものが非常に好きです。国際映画祭に出品する監督には珍しく、私はエンターティンメント寄りの映画に影響を受けていると思います。例えばポランスキーに影響を受けているのはわりと珍しいと思います。僕はテオ・アンゲロプロスの作品などはいい映画だと思うけれどもあまり影響を受けていません。
――ジャン=ピエール・メルヴィルなど70年代のアメリカ映画の影響はご自身の作品に出ていると思いますか?
榎本監督:出てきているんじゃないかと思うのですけど。多少は出てきて欲しいんですけどね。
――この映画では地震と津波が若い世代に及ぼす影響、変化を経験する彼らの姿が描かれていますが、彼らにとっては今回の災害が人生で起きた最大の出来事であるわけです。地震は世代を超えてすべての日本人の精神面に変化を及ぼすと思いますか?
榎本監督:何も変わらないんだという人もいます。そういう意見は若者の間に多い。厳然としてあります。僕にも分からないのだけれど、何も変わらないと思うことで、絶望に耐えようとしているのか、絶望に慣れていこうとしているのか。そうなのか分からないけれど、そういう傾向が多いです。僕はそういう態度に対して“NO”だと言いたい。
前作は“NO”というメッセージを最後に思いきり言う映画でした。今の日本では、絶望が苦痛を伴うものではなく、緩やかな絶望なのです。ここが日本の問題です。絶望の中で、そこそこ楽しく生きていくという事はできるのではないか、ゆったりとした絶望なので、何かを少しチューニングすることによって、そこそこ楽しく生きていけるのではないかと皆思っている。しかし未来に希望はない。そのことに対する具体的な方策がない限りは、今を楽しく生きたほうが現実的ではないかと考える。もう少し手近な小さな幸せでもう一度チューニングして、これでいいんじゃないかと。そういった絶望なのです。そうするしかないんだ、選択の余地はないんだ、という考えに対して、“NO”というメッセージを前作に込めたのです。
聞き手:ニコラス・ヴロマン(ライター)