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2012.10.22
[イベントレポート]
10/20(土)コンペティション部門『もうひとりの息子』:Q&A

10/20(土)、コンペティション出品作品『もうひとりの息子』の上映後、監督のロレーヌ・レヴィさん、そして主演のジュール・シトリュクさん、プロデューサーのヴェルジニー・ラコンブさんのQ&Aが行われました。
もうひとりの息子

©2012 TIFF
左からロレーヌ・レヴィ監督、ジュール・シトリュクさん、ヴェルジニー・ラコンブ プロデューサー

 
東京に素敵で感動的な作品を持って来ていただきましてありがとうございます。
今日はカーペットを歩いていただきました。日本に来られた印象をお伺いしつつ、まずは一言お願いします。

 
ロレーヌ・レヴィ監督:私は初めて東京に来ました。この東京国際映画祭に選ばれたことをとても光栄に思っています。選ばれたと知った時、とても喜びました。この喜びを与えてくれた皆さんに感謝をしたいと思います。
もうひとりの息子

©2012 TIFF

 
ジュール・シトリュク:日本に来るのは二回目です。再度来ることができて嬉しく思います。前回も、最も素晴らしい旅のひとつでした。今回はこの映画をご紹介することができて嬉しく思っています。この作品は私にとって大切な映画です。皆さんも好きになってくれたら嬉しいです。映画祭に招待してくれた皆様にも監督と同じように感謝しています。
もうひとりの息子

©2012 TIFF

 
ヴェルジニー・ラコンブ プロデューサー:ありがとうございます。本当に多くの皆様に最初の上映に来ていただき感謝しております。素晴らしい国にご招待いただき、初めて日本に来ました。私はこの作品を監督やジュールと一緒に仕事をするのがとても楽しかった。それと同じように観客の皆さんにもこの作品を見て楽しみを感じていただければと思っています。
もうひとりの息子

©2012 TIFF

 
とても求心力のある強い作品だなと思いました。この作品を創ろうとされたときのきっかけ、イマジネーションのきっかけといったものはなんでしょうか。
 
ロレーヌ・レヴィ監督:これは現実に起こった話をそのままたたき台にしているわけではありません。しかし91年の湾岸戦争中には産婦人科で逃げる時に子供が取り違えられたということが“実際にあった”そうです。この映画では現実以上のものとして、ユダヤ人の子供がパレスチナの家庭に、パレスチナ人の子供がユダヤ人の家庭に引き取られています。プロデューサーのヴィルジニー・ラコンブの元に数ページのシノプシスが持ち込まれました。彼女がそれを読んで非常に面白いと思い、シナリオライターを雇って、そして私に話を持ちかけた結果、このプロジェクトが実現したのです。
 
作品を創るときにあえてジュールさんの視点に立ってなぜ創ったのですか。「もう一人の息子」の視点というのもあったと思うんですが。
 
ロレーヌ・レヴィ監督:私自身はユダヤ人の男の子とパレスチナ人の男の子と二人の視点を描こうとしました。ただ、あらすじやナレーションで、二人のことを同時に語ることができませんでした。まずユダヤ人、次にパレスチナ人のプライベートな話、それから心の中を描いたわけです。映画のタイトルもフランス語でも国際的に見てもどちらかの視点を優先するようなタイトルではありません。
そのことは私にとってはとても重要なことでした。というのも、世界でもこの地域というのは兄弟同士が戦っているといえ、どちらかに味方するような映画は創りたくなかったし、創ることはできないと思いました。それで、私の映画は和解の可能性を与えるような、希望を与える映画にしたかったわけです。どちらかを重視するということはしたくなかったので、できるだけ客観的に描くようにしました。
 
私はラストシーンで涙が止まらなかったです。監督自身は撮影中に国の違い、人種の違いで、撮影が困難になったことがありましたか。
 
ロレーヌ・レヴィ監督:イスラエルとパレスチナで、今回見ていただいたような物語を語るために映画を創るというのは、非常に大きな賭けでした。
この作品を創るにあたっては、非常に仕事をしっかりすることと、やりたいという気持ちを持ってやることが必要でした。そして、成功の鍵は、俳優と技術者で70人のこの映画のスタッフに、出てくる人たちと同じような構成の人たちを集めるということでした。フランス人もいれば、イスラエル系のユダヤ人もイスラエル系のアラブ人もパレスチナ系のアラブ人も、そしてパレスチナ人でキリスト教徒という人もいました。そういうミックスなチームでやったわけです。そのエネルギーが合わさって、困難があった時にはそちら側の人たちが私たちの擁護をしてくれる。別のケースの場合には別の側の人たちが擁護をしてくれるという形をとって、いろいろ困難がありましたけれども何とか撮影を進めることができました。そして、撮影の最後にはみなさん本当に心を一つにしていました。
実際にいつも感動するようなことが起こっていました。例えば、母親をキャスティングする日、パレスチナで爆弾テロがありました。それは、エルサレムのバス停で起こった事故でして、ユダヤ人入植者が行き来するバス停で起こったわけです。私自身はキャスティングをテルアビブでしていましたが、この爆破事件のせいでチェックポイントが閉鎖されてしまいました。キャスティングに参加しようとした人が来れなくなりました。(主演の)アリン・オマリさんは、4時間半をかけて、日影でも40℃になる暑さの丘を越えて、チェックポイントを迂回してやってきました。彼女はどうやって戻れるかもわからなかったのですが、どうしてもこの映画に参加したいということで来てくれました。こういう人間の光景というのは美しくて、そして強いもので、私たちも本当に感動しました。
 
私は前回の作品『ぼくセザール10歳半 1m39cm』をきっかけにフランス語を学び始めました。ですのでジュールさんがいなかったら私はフランス語を学んでいませんでした。今日、ここでお会い出来て大変嬉しいです(場内から拍手)。ジュールさんは撮影中、どんな気持ちで演じられたのでしょうか?
 
ジュール・シトリュク:まず僕の出演した映画を見てフランス語を話したくなったといわれたのは初めてで、とても面白いと思いました。今回はこの映画を見た後にはアラブ語とヘブライ語を習いたいと思っていただければと思います(笑)。
この役は私にとって非常にチャレンジな役でした。非常に恐ろしいと感じるとともにとても興奮するエキサイティングな役でもありました。はじめは人物像に自分を投影して、物語を理解する。そしてこの人の性格や感情を監督と相談して役作りをしていったんです。複雑になるのはその交換されていたという事実を知った時でした。今までの役作りでは、現実世界で似たような境遇の人を見つけてどう感じたかとかを聞いて進めていましたが、今回は交換された人をどう探したらいいのかわからないのでその役作りが難しくて、監督とずっと考察をしました。そして思春期の終わりに自分を築き上げてきたものがすべて壊れる事態を、自分ならどう感じたかを考えて演じました。非常に複雑でしたが自分を豊かにしてくれる魅力的な役でした。
 
残念ながら今回のQ&Aはここで終了。映画館の外に場所を変え、ジュールさんと観客の皆さんが触れ合う即席サイン会が開始。このようにファンとゲストの交流が出来るのも映画祭ならではの光景です。
もうひとりの息子

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