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2012.10.25
[インタビュー]
公式インタビュー コンペティション 『テセウスの船』

アーナンド・ガーンディー監督アイーダ・エル・カーシフ(女優)(『テセウスの船
テセウスの船

©2012 TIFF

 
角膜移植の後に写真が撮れなくなる写真家。肝臓移植を余儀なくされ、自らの倫理観が揺らぐ僧侶。腎臓移植の末、祖母の影響で平等愛に目覚める株式ブローカー。臓器移植をめぐる3つの物語で人間のアイデンティティを鋭く問いかける本作は、哲学的テーマを具体的なストーリー展開において語ろうとする点で、極めて野心的な一編と言えるだろう。登場人物の感情を豊かに描出しながらも、生命倫理に踏み込み、内省をもたらすところは、32歳という監督の年齢からすれば水際立っている。ムンバイ出身のフィルムメーカーとカイロ出身の女優の言葉は映画同様、思索に富むものだった。
 
――今回の作品に併せてYouTubeにアップされている過去の短編“Right Here, Right Now”“Continuum”も拝見しましたが面白かったです。人物が不思議な円環を描いてつながっているというのが監督の作品の特色ですね。精神的なバックボーンとして何か特別に影響を受けたものはありますか?
 
アーナンド・ガーンディー監督(以下、ガーンディー監督):もともと哲学に興味を持っていて、人と人のつながりだけでなく、万物はすべてつながっていると信じて、いろんな本を読んで学んでいます。たとえば1本の樹木を繁殖させて、1キロ離れた土地にクローンが生えたとします。このクローンは病気になると、根から危険信号を発して、樹木に病気の情報を伝えます。すると、樹木は免疫細胞を作り出し、病気を防ごうとすることが立証されています。人間が自分たちを守るだけではなく、信号を発すれば、他の動物たちも助けることができる。そう考えれば、すべての生命にはつながりがあると認識できます。
 
――短編ではスケッチ風な軽やかなタッチが印象的でしたが、今回の長編デビュー作では、人間のアイデンティティをめぐる物語が深い内省をもたらします。
 
ガーンディー監督:僧侶のパートや臓器売買を描くパートでは、物語がシリアスな分、ユーモラスな要素も入れてみたつもりです。字幕でもそのことが伝わればいいのですが。
 
――僧侶のユニークな人物像は日本人にも十分伝わるし、路地に車が入り込んで身動きできなくなるエピソードにはユーモアを感じました。
 
ガーンディー監督:初長編作ということで野心的になり、いろんなものを詰め込みすぎたかもしれません(笑)。描きたいこと、伝えたいことがたくさんあって、次回作のチャンスがすぐにあると思っていなかったせいかもしれません。
テセウスの船

©2012 TIFF

 
――普遍的問題が提示される一方で、視覚面と音響面では、ムンバイという街がよく捉えられていると感じました。風力発電機の並び立つ風景、高低差のあるスラム街の細い路地、始終鳴り響いている車の騒音など、特色がありますね。
 
ガーンディー監督:私が描きたかったのは生まれ育った町。私の知っているムンバイです。ボリウッド映画で描かれるムンバイというのは、どれもこれも現実的ではなく、拳銃で襲撃に遭ったり、人々が突然踊り出したりする(笑)。そうではなく、自分のよく知っているムンバイを描こうとしました。
 
――アイーダさん演じる盲目の写真家が訪れるヒマラヤの奥地や、ソーハム・シャー演じる若い株式ブローカーが佇むゴットランド島の奇岩の風景も印象的です。こうしたロケ地を選んだ狙いをお聞かせください。
 
ガーンディー監督:アイーダの役は、エジプトに生まれてムンバイで暮らしている写真家で都市しか知りません。あんなふうに美しい渓谷は見たことがない訳で、あれほどの風光明美な場所を前にして、彼女が写真を撮れるのか否かを描きたかった。スウェーデンの映像には哲学的な意味があります。スカンジナビアといえば、一般的に公正、平等を象徴すると言われています。一方、このブローカーは不公正な世界に身を置いている。そうしたコントラストを描く意図がありました。
 
――3人の主人公をはじめ、社会活動家の祖母や腎臓を盗まれたシャンカールなど、人物像がとてもリアルです。脚本執筆の段階でキャラクターのモデルとなった人物はいますか。また演技指導ではどんな点に留意されましたか?
 
ガーンディー監督:ある特定の人物がいる訳ではなく、複数の人間を組み合わせて個々のキャラクターを作りました。そのなかには、私もいれば演じている俳優もいます。また歴史上の人物や本で読んだ人物にもインスパイアされています。僧侶と親しくなるチャールワーカという若者には、一緒に仕事をした人物や私自身、実際にこの役を演じた俳優――彼は面白い映画を作る監督(ヴィナイ・シュクラー)でもあります――の個性が詰まっています。監督としては脚本を重視していて、言葉にも大変なこだわりがあります。ですから、セリフはほとんど変えません。俳優たちの意見を取り入れて変えることもありますが、それは稀です。変えるとすれば言い方や解釈の部分です。今回演じている俳優たちの多くは他に職業を持っている人たちで、映画監督だったり、弁護士だったり、文筆業だったりします。私としては、そうした彼らの人生経験を役柄に反映させてほしい。彼らなりの言い方や解釈が成立するはずだからです。
 
――アイーダさんはドバイ国際映画祭での受賞経験がある映画監督でもいらっしゃいますね。監督経験者として、写真家の人物造型について何か監督に提案したことはありますか?
 
アイーダ・エル・カーシフ(以下、アイーダ):監督の視点から自分の役について意見したことはありません。セリフの言葉遣いや、目が見えない人間を演じるためにコンタクトを填めなければならなくて、そうしたことに注意が向いていましたから。
テセウスの船

©2012 TIFF

 
ガーンディー監督:そんなことはないよ。たしかに集中していたけど、それでも監督の視点をこれっぽっちも捨てることはなかったよね(笑)。
テセウスの船

©2012 TIFF

 
――笑ったり、泣いたり、怒ったりと感情の振幅の激しい役柄でさぞ大変だったと思いますが、どんな点に苦労されましたか?
 
アイーダ:実際に目が見えない方に会ったりしましたが、結果的に、彼らの仕種を模倣するのはやめました。というのも、先天的だったり後天的だったり、目が見えなくなった年数によっても、体の動かし方というのは千差万別だからです。だから、実際に目隠しをして、自分がどんな動きをするのか研究しました。感情面については、もともと感情豊かな人間なので、動き方が身につくと、自然に湧き出るようになりました。そもそも、私も監督も感情豊かな人間なんです。
 
――昨日、上映後のQ&Aで興味深い質問が出ました。最後に僧侶が登場するとき、僧衣ではなく平服だったのはなぜかというものです。監督は僧職を辞したことを認めていました。盲目の写真家も美しい渓谷を前にカメラを鞄に仕舞い込みます。彼女もまた、写真家を辞めてしまうのでしょうか?
 
ガーンディー監督:その通り。諦めて辞めてしまうのです。でもそれが1~2年なのか、写真家としてその後活動を再開するのかはわかりません。
 
アイーダ:私は再開しないと思います。盲目の写真家として活躍して自身のアートに自信を持っていましたが、それは目が見えないことから来る自信であり、見えてしまえばアイデンティティは揺らいでしまう。見えなかったときに撮っていた類の写真は二度と撮れなくなる。見える状態に慣れてしまった時点でもう写真家には戻れない。新しい何かを見つけて追及していくはずです。もうひとつ言えることは、彼女にとって写真を撮ることはある意味で重荷でもあった。もともと重荷だったことを状況が変わってまで続けるでしょうか。私はしないと思います。
 
ガーンディー監督:素晴らしい。それこそ真実だと思うよ。
テセウスの船  テセウスの船

©2012 TIFF

 
――レシピエント限定のスクリーニングという奇妙なエピローグは、一体どこから思いついたのですか? 洞窟の映像を通して、観客にどんな体験をしてほしかったのでしょう。
 
ガーンディー監督:登場人物に共通する特徴は、彼らは皆、自分たちにとって居心地のよい場所から引き離されてしまうのです。盲目の写真家が手術して目が見えるようになる。製薬会社の動物実験に反対する僧侶がそうした成果の末に作られた薬を飲まないと生きていけなくなる。ブローカーの世界に身を置き周囲を顧みなかった人間が公正な社会に目覚めることになる。彼らの内面の旅を描きたかったのです。ドナーが洞窟の探検家であることは、さまざまな意味をもたらします。たとえば、私たち人間は洞窟の岩と同じくらい歴史があるというメタファーでもある。それは普遍の層の歴史であり、人類の起源を想起させます。またプラトンの洞窟に対する優れた洞察がありますよね。人生は虚空であり、他に実際の人生がある。われわれの人生は洞窟に映された影にすぎない。いろんなメタファーが同時に示されるとき、表現はより豊かになるのです。
テセウスの船
 
聞き手:赤塚成人(編集者)
 
『テセウスの船』

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