マイケル・J・リックス監督(『アクセッション ― 増殖』)
南アフリカ共和国ヨハネスブルグ生まれのマイケル・J・リックス監督にアパルトヘイト(1994年まで続いた人種差別政策)の記憶について質問すると、かつてはそれがはっきりと目に見えたが、今は経済的な影響による差別や貧困に変わったと説明してくれた。『アクセッション ― 増殖』は、まさに今の状況に切り込んだ作品と言えるだろう。
――この映画を作る上で不自由さやプレッシャーなどはありましたか?
リックス監督:ええ、ありましたとも。何しろこの企画では資金がなかなか集まりませんでしたから。国は、映画が綺麗な景色を描いて観光に寄与してくれればいいと思っているんです。あるいは感動的な映画とかね。社会の問題や暗い面を描くのは嫌います。
――では実際に、この映画の作り方はどうだったのですか?
リックス監督:ほとんど素人たちです。主役は、この地域のアマチュア演劇に参加している青年を起用しました。映画に出たのは彼も初めてですね。しかし、彼はシナリオを読んでよく理解してくれました。
――彼のいる環境が、エイズや迷信や犯罪がはびこるところとして描かれていたのに?
リックス監督:そうしたことに彼が直接かかわっているわけではありませんが、その地域では実際起こっているからです。コミュニティの問題を知っているからこそ、彼は脚本を支持してくれたのです。そして彼は自分の役をどんどん内面的に掘り下げていきました。実際、彼にとってやりがいのあるチャレンジングな役だったと思いますよ。
――チンピラ風の主人公を見ていると、イタリアのピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『アッカトーネ』を連想しますが、この映画を意識しましたか?
リックス監督:いいえ。パゾリーニの映画は知っていますが、意識はしませんでした。僕の映画とむしろ違いの方が顕著ではないかと思います。
――それでもあえて較べてみますと、『アッカトーネ』にはある意味で<神>の存在がありますが、『アクセッション ― 増殖』にはどんな意味でも<神>が存在しません。それは何故でしょう?
リックス監督:パゾリーニの映画における意味で、つまり同じレベルで神の問題について言うならば、僕の映画は地獄への旅路を描いているからです。現実のなかのまさにホラーに自分たちは立ち向かわなければならないのです。
――主人公の顔のアップの連続で大胆にストーリーを運んだのは何故ですか?
リックス監督:観客に彼のなかに入り込んでもらい、映画のなかのさまざまな事象に入り込んでもらうためです。題材と限りなく接近することでその効果を狙いました。カメラはCanon5-Dを使いましたから、顔のすぐそばで撮影が可能でした。
――映像が個性的です。光と影のコントラストだけでなく、グレイゾーンを表現したり、煙なども効果的でしたね。最後は白黒で…。
リックス監督:お気づきかと思いますが、フルカラーで始まり、だんだん色を落としていき、白黒に行き着くのです。映画の主人公の経験を観客にも感じてもらうためです。ラストで嵐になるのは、あれは偶然でした。後から音を作っていれたのだろうとよく聞かれるのですが、撮影していたら雨が降り出し、雷がなり始めたのです。
――南アフリカ出身でアパルトヘイト時代の国を嫌ってオランダに行き、ラディカルな映画を作っているイアン・ケルコフ監督を知っていますか? 南アフリカを舞台に『ヨハネスバーグ・レイプ・ミー』という強烈なアイロニーのものを撮ったり、日本でも『シャボン玉エレジー』を撮りました。
リックス監督:彼のことは知りませんが、『ヨハネスバーグ・レイプ・ミー』という映画のことは聞いてます。南アフリカでは上映されていないでしょう。
――尊敬する監督は?
リックス監督:あげていったらキリがありません。1時間以上かかるでしょう。黒澤明もマーティン・スコセッシも尊敬してますし、僕の映画とは全然似てませんが、宮崎駿の映画も大好きです(笑)。
――次の作品は?
リックス監督:いくつか企画していますが、まあ、予算との相談になるかと思います。もし、また低予算だったら、Canon5-Dを使うつもりです。『アクセッション ― 増殖』で試してみたらとても使いやすかったので、Canon5-Dでもいいんですが、もうちょっと予算があったらRed One(シネマ用ビデオカメラ)を使いたいですね。映画の手法的には、映画学校でアメリカ映画を手本にしたオーソドックスなことばかり教わったので、もっと実験的なことをしてみたいと思っています。
聞き手:田中千世子(映画評論家)
『アクセッション ― 増殖』