ガリン・ヌグロホ監督、ヤヤン・C・ヌール(女優)(『目隠し』)
子どもの独立した人格は守られるべきなのです
第7回(94)ヤングシネマ・コンペティションで『天使への手紙』がゴールド賞。第11回(98)コンペティションでは『枕の上の葉』が審査員特別賞。第19回(06)ではコンペティションの審査委員を務めるなど、東京国際映画祭では常連といえるガリン・ヌグロホ監督。
ここでは、インドネシアで深刻な問題になっている宗教ラジカリズムを描いた『目隠し』に絞ってお話をうかがった。主演女優のヤヤン・C・ヌールさんも、本国ではこの問題について積極的に警鐘を鳴らしているという。
――映画化にあたり、モデルにした急進的宗教団体の元信者からリサーチを重ねたそうですね。監督はドキュメンタリー作家としても高名です。『目隠し』を、ドキュメンタリーとして製作する選択はなかったのですか?
ガリン・ヌグロホ監督(以下、ヌグロホ監督):ドキュメンタリーにする選択肢は当然ありましたが、より多くの人に見てもらえるよう劇映画にしました。
特に『目隠し』は、映画館よりも学校での上映に力を入れています。劇中で描いているように、イスラム過激派は各地の学校で影ながら浸透しています。子どもたちが実態を学んでもらい、身を守ってもらうことが急務となっているのです。
イスラム過激派のような急進派の団体は、非常に活動が戦略的です。子どもを巧妙に引き入れるのは、資金集めや選挙の集票の道具として利用するためで、小さな村から十数人の子どもが一斉にいなくなるようなことが現実に起きている。しかも彼らは政治力を得ていますから、政府も表立った働きかけがなかなかできない状態です。
『目隠し』のリサーチ対象者とはコンタクトを密にしていますから、彼らの同意を得られれば今後はドキュメンタリーを製作する構想を持っています。しかし大変に微妙な問題なので、その場合にはこちらにも周到な戦略が必要となるでしょう。
――日本では都市部と地方の格差が広がり、伝統的な家庭の関係が希薄になった時に、いわゆるカルト宗教が爆発的に広がりました。インドネシアでも同じような社会の変化が起きているのでしょうか。
ヤヤン・C・ヌール(以下、ヌール):確かに、家族の関係は昔とは変わってきています。
女の子は素直に親の言いつけを聞かなければいけない伝統がありましたが、今は「子どもには子どもの権利がある」という時代です。子どもも早くから多くの知識を得て家の外に好奇心が広がり、選択肢は広がっています。一方で、過激派に簡単に引きこまれてしまう問題も生まれているのです。
ヌグロホ監督:近代化によって国民のライフサイクル全体が忙しい、常にスピードが求められる生活になってきました。宗教のラジカリズム化はそこから発生したと私は考えています。
経済や技術など、あらゆる面で競争が求められる社会になると、必ず競争から取り残される人々が生まれます。そうした人たちの心の空白地帯が、過激派の入り込む余地となります。
日本でも東日本大震災という大変な危難が起き、それにこの数年は多くの内憂を抱えていますね。かつては世界有数の経済大国でしたが、現在は他の国々に追い上げられている。急進派が台頭する空白地帯の危険は、現在の日本にもあると思います。もちろん、それを乗り越えて新たな社会の価値を創出してくれることを願っています。
ヌール:監督、日本の政治の話はそろそろいいでしょ(笑)?
――ベテラン女優のヌールさんは、『目隠し』でも失踪した娘を自力で捜す母親の深い愛情や焦燥を迫真味たっぷりに演じています。娘とは断絶があったと悟り、身体から力が抜けて座り込むシーンでは素晴らしい演技でした。
ヌール:娘のためによかれと思って厳しく教育したことが、実は娘を傷つけていた。それを彼女は初めて知ることになります。そのように演じました。具体的な演技は監督と相談して決めましたが、娘と価値観が違ってしまった彼女の嘆きは、同世代のインドネシアの女性としてよく分かりますから。
私も家に帰れば一男一女の母です。娘があんまりセクシーな格好をしているとつい口やかましくなりますが、いつも、ハイハイと受け流されてしまいます(笑)。
監督は、もっと自分の娘にうるさいですよ。ところがそのカミーラ・アンディニという子は、必ず父親に言われた反対のことをする。その結果が、去年の東京国際映画祭でTOYOTA Earth Grand Prixを受賞した『鏡は嘘をつかない』。今では父親よりも優秀な映画監督です(笑)。
ヌグロホ監督:確かに私の言うことは一切受け付けない(笑)。
――冒頭、急進派団体のアジトへ運ばれる時の「目隠し」。拉致されたと思っていたら、実は自分から進んで参加していた。ショックのあるスタートです。
ヌグロホ監督:学校では成績が上位にいる生徒ほど、宗教ラジカリズムや麻薬に急に走りやすい傾向があります。
経験者に聞くと、あの「目隠し」にはゲームの感覚が強かったそうです。つまらない日常から「目隠し」によって別の世界へ旅立つ、一種の儀式の気分を味わえる。当初はその面白さに夢中になっているうちに、いつのまにかラジカリズムに取り込まれてしまう…。
――だからこそまだ経験の少ない若い人が道を逸れないよう、『目隠し』を学校で見せることが大事だとお考えなのですね。
ヌグロホ監督:いつのまにか子どもは、親が把握しているつもりとは別の、独立した人格になります。大人にはその人格を尊重しつつ、成長を助ける責務があります。
――今回一緒に上映される監督の次作『スギヤ』では、国や民族が対立の立場になろうと個人同士は尊重しあえる可能性を描いていた。監督のヒューマニズムは題材が変わっても一貫しています。
ヌール:家族や宗教、社会のあり方が揺らいだ時には、結局は、相手を独立した人間として認めて接することが一番大事になるのです。
聞き手:若木康輔(ライター)
『目隠し』