10月23日(火)、アジアの風-インドネシア・エクスプレス~3人のシネアスト出品作品『空を飛びたい盲目のブタ』の上映後、エドウィン監督のQ&Aが行われました。
石坂健治プログラミング・ディレクター:それでは監督からご挨拶を。
エドウィン監督(以下、監督):ご覧いただいたのは私のデビュー長編で、2006年の東京国際映画祭のプロジェクトギャザリングでこのアイデアのピッチをしてアピールをした経緯があります。今回、デビュー作、2作目の両方をTIFFで上映していただけるという機会をとても嬉しく思います。
個人的なことをお話ししておくと、私自身は華僑系です。両親も祖父母もそうですし、自分は5世代目ぐらいになると思いますが、元々は祖先が中国大陸からインドネシアに渡ってきました。ただ、どういう経緯だったのかとか、自分のルーツについては5世代目ともなるとわからないところはあるのですが、自分は華僑であるという自覚はいつもあって、習慣なども受け継いでいるものがあります。華僑だと思い知らされる場面があって、高校生の頃、身分証明証にも記載がありましたし、国家試験でもWNIという枠があって華僑系の人はそこにチェックを入れます。インドネシアには、インド系の人、アラブ系の人もいるのですが、中華系の人のみ記載が求められています。
ですから、自分はインドネシアに生まれ育ちながら非常に混沌としたアイデンティティを持って育ちました。それは私だけではなくて同世代の人たちにはそうものがあると思います。とういうのも、中国文化や自分のルーツについて話してはいけないし、たとえば、中国正月も98年まではインドネシア国内では大っぴらに祝うことができませんでした。そういったことができるようになって10年ちょっとしか経っていません。一緒に作った新世代の人たち、たとえばカメラマンもマイノリティのコミュニティから来ています。自分たちのアイデンティティは何なのか、自分たちのことを学ぶというプロセスがこの映画の構想と言えると思います。
石坂:まさに爆竹をくわえた女の子という感じがそのままスチールに伝わってきます。それではご質問に移ります。
Q:タイトルに込めた意味を教えてください。
監督:タイトルに込めた意味は、何か希望があるけれどもかなわない不可能な夢ということです。本当のインドネシア人になりたいと思ってもそれはかなわない。では中国人と言えるのかというと、中国文化で育っていないのでそうとも言えません。
Q:マイノリティの象徴であるブタが解放されるシーンがありますが、今、解放された華人たちはどのような思いを抱いているのか、監督はどのように考えておられるのでしょうか。
監督:98年にスハルト政権が倒れ、中国文化的なものが認められ中国正月も休日になりましたが、私の世代になると中国文化で育てられていないので、逆に戸惑うというか違和感があります。私自身、中国語も話せないですし、儒教的な思想で教育されたわけでもないので、何も変わっていないと言えば私自身は変わっていません。友人の中にも、そういったことを感じている人はいるようですが、少しとってつけたような印象があります。映画的言語で説明すると、ブタはメインの対象物であるにもかかわらずフレームの中央にいるのではなく端っこにいます。自由になったとはいえ何か大きな力によって押し出されている状況でもあります。
石坂:最後にメッセージをお願いします。
監督:本当にありがとうと申し上げたいです。この映画を作って数年経っていますが、東京で皆さんとこうしてこの映画について語ることができて嬉しく思っています。
空を飛びたい盲目のブタ