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2012.10.28
[インタビュー]
公式インタビュー 日本映画・ある視点 『少女と夏の終わり』

石山友美監督(『少女と夏の終わり』)
少女と夏の終わり

©2012 TIFF

 
青春映画は設定が重要である。若者の自己イメージは、暮らす場所に大きく影響を受けるからだ。石山友美監督の長編デビュー作『少女と夏の終わり』は、山村に暮らす中学生の瑞樹(菅原瑞樹)を中心に展開する。タイトル通り、物語の設定は夏だが、瑞樹の人生も“夏の終わり”を迎えている。子供時代を終えようとしている瑞樹だが、姉が10代でレイプされて殺されたために、思春期を迎えることに特別な不安を抱いている。同級生の少年たちの無礼な視線や近所の住民たちの悪意ある噂、そして自然の脅威に触れ、瑞樹は自分の肉体の成熟がもたらす危うさに気付かされる。
 
『少女と夏の終わり』は思春期を描いた物語だが、監督自身とはあまり接点がない。石山監督は東京で育ち、ニューヨークで学んだ。
「いつか都市を撮ってみたいと思っていますが、どこを切り取るのかは難しく、私の監督としての力量ではどんな街であれ描くのは簡単ではありません」と監督は話す。もともと住居学を専攻した彼女は、映画をそのなかで人々が動く構造物としてとらえている。
 
事実、石山監督は主人公の瑞樹よりも、まわりの人間に興味があるという。
「主人公に対する思い入れはあります。彼女の成長を一番描きたかったともいえますが、でも一方で、彼女のことをまったく気にしていないキャラクターこそを描きたかったと言っても過言ではありません。私が好きなタイプの映画は、それぞれのキャラクターの存在が生きていて、キャラクターが自分のやりたいことをやっている映画です。そのときには主人公は取り残されてしまうというか、主人公の思うようには進まない。本作で言うと、瑞樹のためだけには動かない。本当だったらもっと優しい言葉をかけられたり、ドラマチックに襲われたりするほうがいいかもしれませんが、敢えてそうならないように気をつけました。必ず邪魔をする存在を作ろう、と思って脚本を書きました。なるべく主人公のためだけの世界にしないようにしようと思っていました」
 
脚本には複数の物語や主題が織り交ぜられている。村の昔からの収入源である林業を脅かす樹木の病気。それに伴って、村の唯一の製材所の試練、その製材所は村人が不審に思うよそ者を雇っている。さらに温泉リゾート建設を争点にした村議選挙や、クマの出没、そして思春期特有の戸惑いの感情。とはいえ、瑞樹を中心に据えているため、ある種の先入観――大半の男は危険で、女は不安定――が支配的に存在する。
「男と女を決まった像で描くやり方はしたくありませんでした。いろんな人がいろんなことを考えている、世界の見方は違うということを描きたかったのです」
 
だが、都会育ちの石山監督は田舎の暮らしに対して先入観があったと言い、閉ざされた村社会に関して、噂の拡散から根強い迷信(監督自身は迷信にも価値があると考えている)について多岐に渡ってリサーチを行った。
 
「迷信にはさまざまな形のものがあります。権力者に近い予言者が語ったものもあれば、民間伝承されたものもあります。それに昔の神話もあります。私の今の生活にどう関わっているかというと、よく分からないのですが、知るのは面白く、楽しませてくれます。さらに、例えば子供の頃に聞いた伝説を当時は大事なものと思えなくても、後々まで記憶に残り、自分の体に根付いていくものはあると思います」
劇中に何度も出てくるクマは謎めいた迷信と自然の生々しさの両方を象徴する。ある場面では死骸が川を流れ、また別の場面では人を襲う影が映し出される。
 
「クマは神だと崇めているアイヌの伝説があって、そこからアイデアをたくさんもらっています。クマを大事に育てて、最終的には殺してしまうのですが、最後の祭りで人間と同じご飯を与えて神のように崇める。日本における自然と人間の関係は独特です。それは日本の自然が他より美しいということを言っているわけではなく、人間のあり方に影響を与えていると思います。それがクマとどれほど関係があるのかは分かりませんが、作品の背景にはなっています」
少女と夏の終わり

©2012 TIFF

 
聞き手:フィリップ・ブレイザー
(本記事は映画祭公式英語サイトに掲載された記事を翻訳したものです)

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