岩淵弘樹監督(『サンタクロースをつかまえて』)
岩淵弘樹監督は3.11の震災後、初のクリスマスに出身地の仙台を訪れた。『サンタクロースをつかまえて』は、街が深い悲しみから復興していく様子を監督自身の視点で追ったレポートだ。
――ドキュメンタリー映画を作るようになったきっかけは何ですか?
岩淵弘樹監督(以下、岩淵監督):大学時代からドキュメンタリー映画を作っています。なぜドキュメンタリーかというと、大学時代に映像を志す仲間ができなかったので、僕個人で作らなければならないという状況でした。その時に一番作りやすかったのがドキュメンタリーという形だったので、自分の身の周りにある素材を題材に自分のカメラで撮るという方法で映画を作り始めました。
それと、山形の大学に行っていたので山形国際ドキュメンタリー映画祭というのが身近にあり、そこでいろんなドキュメンタリーを見て、こんなにおもしろいんだということに気付いたのも理由です。
――松江哲明監督などと並んで自分をドキュメンタリー製作の前線にいる監督だと捉えていますか?
岩淵監督:前線という気はあまりないです。ドキュメンタリーにもいろいろなタイプあると思うんです。隠れているものを暴くタイプのドキュメンタリーであったり、取材をたくさん重ねるドキュメンタリーであったり。僕は自分の周りの出来事から作品を作りたいなと常々思っています。
――セルフドキュメンタリーですね。それでは『サンタクロースをつかまえて』についてお聞きします。監督は仙台で育ったのですか?
岩淵監督:はい。
――映画のなかでクリスチャンの初老の女性が出てきます。あの方は、大叔母さまですか?
岩淵監督:はい、私の大叔母です。
――監督もクリスチャンの家庭で育ったのですか?
岩淵監督:私の家はクリスチャンではありません。大叔母だけがクリスチャンです。
――でも監督は22歳になるまでサンタの存在を信じていたと描かれていましたが?
岩淵監督:信じていたというかプレゼントをもらっていました。でも正直、17歳くらいまで信じていました。
――仙台におけるキリスト教文化が描かれていましたが、日本においてクリスマスを祝う習慣はこのところ根付いてきました。それでも日本人の大部分は仏教あるいは神道を信じている人たちだと思うので、この組み合わせは何か奇異なものに見えるのですが。監督は、このようないろいろなものが混じった集まりというものをどのようにとらえ、どのように受け入れているのでしょうか?
岩淵監督:日本のクリスマスは商業主義的だといわれることが多いですよね。キリスト教の信仰のなかにサンタクロースは特にないと言われています。というようなことを現地でも聞いていました。しかし商業主義と言われても、そこで子どもが喜んだり、子どもにとってはサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるということが嬉しいことだと思うので――僕自身は小さい頃、嬉しかったので――、歓迎したいと思います。
――では、このクリスマスを祝うということは震災を経た今、特に仙台で大切なことだと思いますか?
岩淵監督:クリスマスを祝うということより、震災と関連付けていうなら、“SENDAI光のページェント”という並木道をライトアップする祭りがあり、そこの実行委員長に話を聞きました。そして、仮設住宅で自殺する人が増えてきて、街としてどうするかというとき、いつもどおり年を越し、いつもどおり祭りをするというのが大事なのではないのかと言われ、そのことに僕は共感しました。誰かが原発問題が終わるまで2011年は終わらないと言っていたのですが、やはり年を越して、いつものように年を越えることで救われるという、街としての取り組みが僕はいいなと思いました。
――作品のなかで音楽がかなり使われています。yumboをはじめ、使った音楽について教えてください。
岩淵監督:特にyumbo(ユンボ)というバンドは3月20日に自分たちが避難していたカフェで自分たちの演奏をYouTubeにアップしたというのがあります。3月20日に僕もYouTubeで見たんですけど、その映像には仙台の人たちの心細さというものがすごく感じられたのですが、それとは全然関係なく音楽が良かった。震災とは関係なくいいものに励まされたというのが、音楽を使いたい一番の理由でした。
――yumboというバンドを震災前から知っていましたか。仙台では有名なバンドですか?
岩淵監督:仙台でも特に知られてないのですが、個人的に昔から好きでした。
――私自身、音楽をする人間なので、音楽には癒しの力があると思っています。作品のなかでyumboのほかにもマーチングバンドや教会の音楽を使っていましたね。
岩淵監督:僕は音楽はやらないけれど、音楽は大好きです。音楽から感じるインスピレーションとか、刺激されるものがいろいろあります。映画のなかのマーチングバンドも、単純にかっこよくてパワーを感じたというのが、音楽を使用した理由です。
――この作品はとても個人的であって、ご家族やお母様、そして近しい人々が出演されています。このようなとても個人的なプロジェクトと、芸術としてのドキュメンタリーといった広いアイデアとの関係について教えてください。
岩淵監督:家族や身の周りの人がおもしろいのです。僕はおもしろい人しか撮っていないつもりでやっています(笑)。その人たちの言動のなかから、さらにおもしろい部分を編集などで煮詰めるので、自分のなかの芸術的なイマジネーションうんぬんはよくわからないですね。やはりそのおもしろいものを並べたときに立ち現われてくるものというか、その流れに自分の気持ちを合うように作るのがドキュメンタリーだと思います。
――3.11からしばらくたった今、あのときに何が起こったのか、皆の経験や、それに対する反応というものを日本の映画人は作り始めています。そのなかには、政府批判が表にたったもの、あるいは一緒に「がんばろう」というようなテーマのものや内省的な作品も見受けられます。こういったさまざまな作品群のなかで、監督のこの作品はどういうカテゴリーに属すると考えますか?
岩淵監督:いろいろな種類のドキュメンタリー作品があると思います。まず、震災直後に出てきたドキュメンタリーはいくつか見たのですが、どれも僕はダメだった。作者の戸惑いや感情を抜きにして、ただ人にしゃべらせるという形態のものも僕は苦手でした。NHKのテレビドキュメンタリーはすごく好きで、それは決められた時間のなかで作らなくてはいけないという制約があったからだと思うのですが、きちんとまとめていたし、限られた時間のなかで見切りをつけてやっていた感じがしました。
『サンタクロースをつかまえて』は、沿岸部の震災のドキュメンタリーではありません。市街地のドキュメンタリーなので、津波の被害、瓦礫というような目に見える形とはちょっと違います。とにかく車窓からの瓦礫の風景はもう見たくない。映画に瓦礫を使っている人を見ると、本当に何も考えてないんじゃないかと僕はムカついていました。僕の作品は自分の知っている街、仙台の市街地のリアリティというか、市街地に住む人たちの震災で受けた経験というのは、沿岸部とは違っています。しかし、地理的な意味で場所のドキュメンタリーだという意識はすごくあります。
聞き手:ニコラス・ヴロマン(ライター)