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2012.11.02
[イベントレポート]
「東京国際映画祭は、私の映画を見ていただく機会としてお気に入りの場の一つです」―10/28(日)アジアの風『兵士、その後』:Q&A

10/28(日)アジアの風部門『兵士、その後』の上映後、アソカ・ハンダガマ監督(監督/脚本)、ラビンドラナス・レルワラ・グルグさん(編集)が登壇し、Q&Aが行われました。
兵士、その後

©2012 TIFF

 
司会:たった今、終わりました授賞式で、本作はアジア映画賞のスペシャル・メンションとなりました。賞金は出ないのですが…(笑)
 
アソカ・ハンダガマ監督(以下、監督):ありがとうございます。賞金なしは問題ありません(笑)。TIFFは以前にも『マイ・ムーン』で2001年に来ておりますし(第14回TIFFシネマプリズム出品)、『この翼で飛べたら』ではアジア映画賞(2002年第15回TIFFアジアの風部門にて受賞)をいただきましたので、今回、賞金がなくても気になりません(笑)。2005年には『レター・オブ・ファイヤー』(第18回TIFFコンペティション出品)で招いていただいたので、今回で4度目の来日になります。東京国際映画祭は、私の映画を見ていただく機会としてお気に入りの場の一つです。皆さんが応援してくださることで、映画を作る勇気をもらっています。
兵士、その後

©2012 TIFF

 
ラビンドラナス・レルワラ・グルグさん:私は編集の監修を担当しました。ハンダガマ監督とは1作目からずっと同じ役職で一緒に仕事をしています。もうすでに1回目の上映がありましたが、たくさんの観客に来ていただいて、多くの貴重な質問をいただきました。今夜もこのように集まっていただいてありがとうございます。
兵士、その後

©2012 TIFF

 
司会:アジアの風で3回来られて、毎回受賞し、コンペにも一度来ておられるわけですので、もうお馴染みの監督です。タイトルについてお伺いしたいのですが、原題の“イニ・アバン(Ini Avan)”。英題は“Him, Here After”で、主人公は名前のない男です。原題はまた違う意味があるそうですね?
 
監督:タミル語の“イニ・アバン”は2語で表すと「彼、その後」という意味ですが、1語(“イニアバン”)では「やさしい人」という意味になります。私自身はシンハラ人ですが、物議をかもすようなデリケートな問題を扱うことが多く、本作も内戦後の社会を描いています。今までは「兵士」というとネガティブなイメージがあったので、「やさしい人」というイメージを投影したいと思いました。シンハラ語の地域では、1語のタイトルでリリースされます。
 
司会:内戦後に作られた映画としては、早かったのでは?
 
監督:2つほど戦争を題材にした映画がすでに作られていますが、両方とも過去を振り返る、という内容です。本作のように戦後を描いたものは初めてです。また、北部の戦争の傷跡が残る地域で撮ったのも初めてです。
 
Q: この映画全体はタミル語で話されているのでしょうか? 最後のほうのセリフで字幕が少し見せ方を変えていたのですが、そこは別の言語なのでしょうか? スリランカで映画を作る際、言語についてはどのように考えて作られるのでしょうか?
 
監督:基本的には全編タミル語ですが、兵士が街で「いい砂糖はどこで買えますか?」と聞くセリフと、「アイスクリームの店はどこですか?」という質問、それとトラック運転手が困っている主人公を助けようとするシーンでは、シンハラ語が使われています。この人たちは外から来た人たちだからです。
言葉に関しては、本作のような題材を扱うとき感情表現が大事になってきますが、タミル語とシンハラ語は感情表現が似ている部分が多いので、言語としては通じなくても、タミル語地域で演出することはそれほど難しくはありません。今回、タミル語の地域で撮影を行ったことで、地元の若い映画製作を志す人と一緒に仕事をすることができました。今まで苦しんできた地域の人々と共に映画製作をする機会を得られたことで、自分たちの問題を描く映画を作り、地域から発信することができるのだと知るいい経験になったのではないかと思います。ですから、この地域でタミル系の人たちが作った映画が将来TIFFでも上映されるようになればいいなと思います。
 
Q: スリランカの検閲についてお伺いします。2005年の監督の作品『レター・オブ・ファイヤー』が上映禁止になったという記事を読んだのですが、その際、監督は自由な映画製作ができなくなったとおっしゃっていました。その後6~7年経って状況はどのように変わりましたか?
 
監督:2006年に禁止されて以来、『レター・オブ・ファイヤー』は今も上映禁止で、国内の映画館ではかけられません。ただ、インターネットで観るという手段はあり、400万人以上の人が観てくれています。映画を観るということだけに関して言えば、大きな弊害はないのですが、映画を作る関係者にとっては大きな打撃となりました。映画を作るにあたって、恐れを感じるようになってしまったのです。自由にイマジネーションを膨らますことが阻害されて、何とか抜け道を模索しなければいけないのも、とても悲しいことです。実は、上映禁止になった当時、スリランカの映画業界はインドよりも自由を享受していました。もちろんインドのほうが産業自体は大規模です。ただ、今は状況が逆転し、インドがより自由になり、スリランカの状況は後退しています。
 
Q: 監督は右派系の人々から“反シンハラ”だと批判を受けておられます。それは民族の違いを越えて、スリランカを一つにしようというお考えだからだと思いますが、スリランカには分断ではなく、共存・統合を目指す動きやグループはあるのでしょうか?
 
監督:まず先に言いますが、私は“反シンハラ”ではありません(笑)。ただ、分断には反対です。民族の統合を目指す政党もあるにはありますが、残念ながら支持する人の数が非常に少ない。しっかりしたリーダーが登場し、動きが盛り上がっていけば、支持をする人は増えると思います。カナダのトロント国際映画祭で本作を上映したときに、違う意見をもつ人も含めて、本作への評価は高く、いい対話の場がもてました。ですから、対話をもって、調和を目指せば、そういう社会は作ることができると思います。一般の人々に対しても、意見は異なったとしても、説得をすることが可能だと私は思います。
 
Q: これは質問ではなく、感想とお礼です。今回、TIFFがこの作品を上映する機会を設け、スリランカの映画を紹介したことは素晴らしいと思います。私はスリランカ人でハンダガマ監督の作品は長年、見てきましたが、大変勇気のある監督だと思います。批判を恐れず、容易な道を取ることもできるなか、敢えて困難な道を選んでおられます。映画に限らず、演劇でも物議をかもす作品を生み出しています。私たちもその姿勢に勇気づけられますし、スリランカのよりよい将来、また政治的にも統合への道の兆しの一つになるのではないかと思います。
 
監督:ありがとうございます。この映画を招聘してくださり、本当にうれしく思います。また、次の作品で来日したいと思います。
 
兵士、その後

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