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2012.11.08
[インタビュー]
公式インタビュー natural TIFF 『どうぶつの権利』

ヤン・ヴァン・アイケン(監督/プロデューサー/撮影監督/編集)(『どうぶつの権利』)
どうぶつの権利

©2012 TIFF

 
人間の動物に対する愛情は果たして本物か。食用の家畜と、家族のように愛されるペットを、鮮烈なコントラストのうちに描いた本作は、30分という短い上映時間で、普遍的な動物愛護を提起する稀な一篇だ。ヒヨコの目線の高さにカメラを据え、健気な鳴き声が響き渡る渦中で、彼らが殺傷されていく場面には静かな衝撃が走る。尿結石と思しき犬がおしっこして、飼い主が誉めても空々しく感じられるほどだ。アイロニーの中に深い理解を求める監督は、あえて自らの肉食を語ることで、生活の中の変革を促すのだった。
 

──カメラ・ポジション、音響ともほぼすべて動物が見ていること、聞いていることを映していて強烈です。動物の視点を提示することで、何を伝えたかったのでしょう。
 
ヤン・ヴァン・アイケン監督(以下、アイケン監督):オランダでは人口6千万に対して、家畜用の鶏が1億羽、豚が1200万匹もいます。これほど多くの家畜がいるのに、ふだん私たちは、彼らを目にする機会がありません。彼らは養鶏場や養豚場にいて、暗い惨めな生活を送っている。人間が彼らの置かれた状況を直視せず、封じこめているからです。だから私は、彼らがどんな一生を終えるのか知らしめたいと思いました。彼らが置かれている状況を体験して、一緒に考えてほしい。そうした願いから、この視覚的なエッセーを作ったのです。
 
──ヒヨコの視点から精肉工場を眺めると、そこがまるで強制収容所のようにも思われてきます。人間が食べるために作り出したシステムが、人類史の汚点ともいえるひとコマを彷彿させることに、驚いてしまったのですが。
 
アイケン監督:ナチスの人権侵害やホロコーストを考えて、作ったのではありません(笑)。でも映画を作った後、そのように指摘されたことがありました。映画のラストに、たくさんの鶏をフェンス越しに捉えたショットが映りますが、この映像がアウシュヴィッツや強制収容所を彷彿させると言われたのです。でも撮影中は、特に意識していた訳ではありませんでした。
 
───暗い工場で食用に屠殺される動物がいる一方で、わが子のように愛され、家族の一員として育てられる動物がいます。映画ではその対比を、名もなき動物と固有名のある動物として描いていますね?
 
アイケン監督:名称によって動物が選別されるというコントラストは、大いに意識しました。犬のように1匹ずつ愛情を持って育てられる動物もいれば、大量生産される商品として扱われる動物がいます。こんな正反対の状況を作り出したのは人間です。たとえば、豚はとても頭のいい動物で犬よりも賢い。でもこの事実を知らない人は多く、大抵の豚は惨めなまま一生を終えます。
映画では豚を使った動物実験の場面があります。豚を開腹すると、肺も心臓も全部人間と同じ形態なのがわかります。豚は頭がよく社会性もあるのに、人間はなぜか、彼らよりも知性の劣る犬をわが子のように、あるいは、神のように崇めている。
オランダでは近年、莫大な費用を注ぎ込んで、ペット専門の癌センターが設立されました。レーザーやレントゲンを用いた高度医療が可能となった。それほど犬を丁重に扱うのに、家畜用の動物は惨めな生涯しか送れない。人間はなぜこれ程の落差を生みだしたのか、誰もが疑問に感じることでしょう。
どうぶつの権利

©2012 TIFF

 
──でもかわいい動物を見ると、人間は自然に愛着が湧いてきます。そこに人間の奢りがあると言えるでしょうか。
 
アイケン監督:フワフワしてかわいらしい動物を好きになるのは、人間の自然な行為であり、傲慢とは思いません。ただし、名もない動物の生存を見ないということ、より安価な肉を求めて家畜の生涯を顧みない人間の振る舞いは、傲慢だと思います。
 
──映画では人間に飼われているペットの豚も登場します。飼い豚に添い寝する女性は幸福そうですが、家畜用の豚は管理上の理由から、生後間もない時期に断尾されます。こうした映像の対比は、双方の立場の人間から反発を買いませんでしたか?
 
アイケン監督:私は何を映像で見せるのか、常にオープンにしています。養豚場の経営者と幸福な豚の所有者には、善悪を断じるものではないと説明し、正式に撮影の了承を得ました。もっとも、養豚場の経営者を説得するのは時間がかかりましたけどね。
 
──最後に犬の洗礼が描かれます。この場面では、動物の擬人化は、社会全般で行われている行為であることが提示されています。これに対して、養鶏場で精肉用に屠殺されるヒヨコの擬人化は、この映画特有のものであり、強烈なアイロニーを感じさせます。映像の対比は、人間が生みだした選別行為が代え難い基盤を持ってしまったことへの諦めとも受け取れますが。
 
アイケン監督:これまで嫌悪感を露わにする人はいませんでしたが、この映画を観るのがつらいという人もいるでしょう。私はそれでも観て、考えてほしいと願っています。このようなシステムを変えることはとても難しい。たとえ変えられないにしても、一人ひとりに考えてほしいと願っています。
 
──原題の“FACING ANIMALS”には、「人間はいまだに動物と向き合っていない」という含意が込められています。一体、どうすれば人間は動物と向き合えるようになるのでしょう?
 
アイケン監督:映画を撮った後、ベジタリアンになったかと多くの人に聞かれましたが、私は肉食に反対している訳ではありません。人間の自然な営みとして、今も肉を食べ続けています。ただ肉の生産方法をつぶさに見てきた結果、なるべくオーガニックの肉を食べるようにしています。また1週間に1日とか2日というふうに、食べる回数も減らしました。そんなふうに、自分にできることから始めればいいのです。ポール・マッカートニーさんは「ミート・フリー・マンデー(月曜は肉食をやめよう)」を提唱し、世界に広めようとしています。そういうものでもいいと思います。毎日肉を食べる必要はない。回数を減らしたり、家畜が適切な環境で育っているか気にかけたりするなど、一人ひとりが自分にできることを始めれば変化に繋がっていくはずです。
どうぶつの権利

©2012 TIFF

 
聞き手=赤塚成人(編集者)

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