10/21(日)アジアの風『パーフェクト・ゲーム』の上映後、パク・ヒゴン監督のQ&Aが行われました。
司会:『パーフェクト・ゲーム』原作・脚本・監督を務めましたパク・ヒゴンさんです。まず初めにご挨拶をお願いします。
パク監督:このように私をご招待してくださり、そして皆さん作品を観に来てくださりどうもありがとうございます。私は高校の時から映画監督になるのが夢でした。当時から東京国際映画祭はアジアで一番大きな映画祭ということで、必ず監督になったら行きたいと思っていました。私が若いころに抱いた夢を叶えてくださって本当にありがとうございます。
司会:会場には野球のユニフォームを着たお客さんもいらっしゃいますが、監督は子どもの頃、野球少年でしたか。
パク監督:今客席にユニフォームを着ているお客さんがいるのですが、帽子は当時のロッテ・ジャイアンツのもので、ユニフォームは今の起亜タイガースのユニフォームでしょうか。だとすると、チェ・ドンウォンさんとソン・ドンヨルさんお二人のファンなのかなと思いました。
私は、子どもの頃から野球には興味があって、小学校4、5、6年の時に野球をやっていたのですが、それ以降は家で反対されてしまい、普通の一般的な生徒として勉強だけをしていました。でも、今はその時に野球を辞めてよかったなと思っています。
なぜなら、今のプロ野球選手をみたら身体条件も実力もずばぬけて、皆さん素晴らしいですよね。当時は野球ができないことが私の不満だったのですが、親からすれば、きっとこの子は野球では可能性がないだろうなと思っていたのだろうと思います。
司会:皆さんからの質問の前に、一つわかりにくい箇所について、あんなに長い時間をかけて引き分けとか時間切れなどのルールはどうなっているのでしょうか。
パク監督:私が知りうる限りでは、現在の韓国のプロ野球は夜中の12時を超えない範囲で12回までと聞いています。しかし映画であるように、過去チェ・ドンウォンさんやソン・ドンヨルさんが活躍していた時代は、時間は無制限で15回まででした。例えば、明け方の4時過ぎまでやるということもあり得たのです。
Q1:アンニョンハセヨ。ヤン・ドングンさんの大ファンです。今回監督はヤン・ドングンさんと初めての映画撮影だったんですけれども、監督から見られたヤン・ドングンさんは?
パク監督:俳優としてみた場合にヤン・ドングンさんと、それからもう一人の主人公である、チョ・スンウさんについて、今回に関しては、チョ・スンウさんの場合には私と同じように子供の頃の野球経験があったので、キャスティングをした後にボールを渡して「投げてみて」と言うと、本当にうまく投げられて上手でした。ですのでその点は心配ないなと思いました。
片やヤン・ドングンさんの方は、ダンスやアクションはほんとにお上手なんですけれども、子供の頃からボールを扱ったことが無いっていうことだったので、最初に「投げてみて」と投げてもらったら、何メートルも飛ばずに、そのままボールが落ちてしまったっていう、そんな経緯がありました。でも彼は四か月間、私たちチームが付けた国家代表のコーチの元で、情熱とベストを傾けて一生懸命に役作りに取り組んで、映画で見たようなソン・ドンヨルさんそっくりの役作りをしてくれました。
そして私から見ると、俳優としての素質というのも素晴らしいものがあると思うんですね。一般にはヤン・ドングンさんの演技というのは「即興でやってるんじゃないか?」と思っていらっしゃる方が多いようですが、撮影現場に来るときにも、当日の5、6時間前からもうすでに準備に入っていて、観客にどんな演技を見せたらいいのかという事を悩んで、努力をして作っていくようなそんな俳優さんです。二人とも素晴らしい俳優さんですので、もしまた二人とお仕事の機会があればためらわずに一緒にやりたいと思います。
もう一言付け加えますと、今回ソン・ドンヨル選手の役をやるために、ヤン・ドングンさんに頼んだことが2つありました。
一つは、本当のプロ野球選手のような体を作らなければいけないので、日に焼けた体を野球選手のように作ってほしい。そしてもう一つはソン・ドンヨルさんと同じような投球フォームで、という事だったんですね。今回準備期間もあまり長くなかったんですけれども、また本人も非常に有名な俳優であったにも関わらず、しっかりとそれをこなしてくれました。
準備期間には、プサンのヘユンデビーチで、多い時は観光客が1日に数万人とか数十万人とか集まる海岸で水着姿で一生けん命練習をしてくれました。そのとき彼がはいていた水着というのはブリーフタイプだそうです。
司会:かなり興味をそそられる回答ではないでしょうか?
Q2:〈韓国語で〉熱狂的な韓国のプロ野球のファンです。楽しい映画を作ってくださってありがとうございます。
〈日本語で〉今、韓国では大変プロ野球は人気があります。全羅道(チョンラド)と慶尚道(キョンサンド)の地域対立とかいろいろあると思うんですけれども、そういったことも含めてどういったことを伝えたかったのか教えていただけないでしょうか。
パク監督:私は敗者の人たちが紆余曲折を経て、ヒーローになるという映画をよく観てきました。おそらく皆さんもそういったタイプの映画をよく見てきたと思います。でも、ある瞬間からトップの座に登りつめた人たちというのは、生まれつきとか運とかではなく、何か私たちが知らないような人生を経験してきているのではないかと気になりだしました。
そんな風に思っているときに、実際に選手だった二人に会って過去の話を聞いてみて、本当に驚きました。会う前というのは、別世界の人のように思っていたのが、会ってみたら二人とも私たちと同じように普通の人だということがわかりました。では、なぜ彼らは伝説になりえたのか、韓国と代表する投手になりえたのかというのを考えてみたところ、彼ら二人というのは誰かと闘っていたわけではなかったのですね。あくまでも自分との闘いを展開していた人たちでした。つまり、次の段階はどうしたらいいのか、もっともっと高みに登るにはどうしたらいいのか、もっとしっかりと投げたい、もっと人間としても成熟したいという思いを持っていて、そういう姿を見せてくださったように思うんですね。私たちもある意味そういうふうな思いで生活しているところがあります。なので、二人の物語を映画にすれば、皆さんの心に何か届けるものがあると思いました。
今の時代、日本であれ、韓国であれ、アメリカであれ、年配か若いかにかかわらず、父親や母親というのは同じ気持ちだと思うんですね。親になっている人たちというのは、本人のために生きているのではなくて、家族のために生きているところがある気がします。そういった両親の思いというのは言葉ではなかなか言えない感情だとは思うんですけれども、父親や母親というのは家族のために一生懸命生きていると私は思いましたので、その人たちにとって力になるような作品、何か共感をしてもらえるような作品を創りたいと思いました。
あとは、地域感情についてもおっしゃってくださったのですけれども、この映画の中にあるように全羅道(チョンラド)と慶尚道(キョンサンド)の地域感情というのは韓国内ではあるのですけれども、日本だと読売ジャイアンツと阪神タイガースが対決するようなものというように見ていただければよいかと思います。
それから、最後に一つ付け加えますが、二人は片方がロッテ・ジャイアンツ、片方がヘテ・タイガースの選手だったから観客たちがあんな風に騒いだというのではなかったんですね。当時の韓国の国民というのは二人に対して“本当に”残酷なことをしていたと思います。ソン・ドンヨルさんがチョンラドの出身で、高校もチョンラドでは野球で一番といわれている光州(クァンジュ)第一高級学校なんですね。それから、チェ・ドンウォンさんはキョンサンドのやはり野球の名門といわれている慶南(キョンナム)高校の出身でした。そして、大学も対立する大学に入るんですが、チェ・ドンウォン選手は延世(ヨンセ)大学校、日本でいうと慶応に当たります。ソン・ドンヨル選手は高麗(コリョ)大学校、こちらは早稲田に当たりますかね。つまり、二人はずっと対立を繰り返していました。なので、国民はまるでボクシングの試合に二人を送り込んで、どっちが生き残るかというのを見たがっていた感じでした。今は、そういうふうな風潮というのはだいぶなくなったのですけれども、当時の人々というのは、とにかく二人のどっちが生き残るかというのを見たいという思いで野球を見ていたわけです。