コンペティション 『テセウスの船』 記者会見のご報告
日時・場所:
10/21(日) 17:30~ @TIFF movie café
登壇者:
アーナンド・ガーンディー(監督/脚本)、アイーダ・エル・カーシフ(女優)
アーナンド・ガーンディー監督と主演女優のアイーダ・エル・カーシフさんに様々な質問にお答えいただきました。
Q:映画の中にドナーの臓器を8人にわけたというセリフがありました。アイーダさんを初め3人の主人公しか登場しませんが、4人目、5人目の採用されなかったアイディアがあったのでしょうか?
アーナンド・ガーンディー(監督/脚本):考えていたストーリーは確かに他にもありました。脚本の第一稿は心臓の話を含めた4つのストーリーからなるものでした。ですが3つめのストーリーを撮影し終わった時点で、すでに3時間超えの作品となってしまったことに気付いたのです。映画の最後に他の人たちの顔が映ることは、他にもさまざまなストーリーがあるのだというヒントとなっています。
Q:インド人女優ではなく、インド映画にエジプト人の女優であるアイーダさんを採用した理由はなんですか?
アーナンド・ガーンディー監督:まず申し上げたいのはアイーダ作品の中で演じているのがインド人ではなく、ムンバイに居住しているエジプト人だということです。この設定を選んだ理由はいくつかあります。この映画を製作するにあたり、主演女優をなかなか見つけられず世界中でオーディションを行いました。ストーリーは非常にグローバルな内容で、世界のどこであっても何人であっても描くことができると思っていたわけです。それがひとつめの理由。そして外国人がボンベイに住むということには部外者であるという感覚が非常に強くあります。よその地で育ち、ボンベイで暮らすということを目の見えない彼女には視覚的に体験することができない。そのパラドックスに大変興味をもったのがふたつめの理由です。そして3つめの理由、アイーダは私にとって大発見でした。彼女は才能にあふれた映画監督で、初めて会ったのは、お互いが製作したショート・フィルムを出展していたドイツのハノーバーでした。彼女はインドに来て本作の手伝いをしてくれることになったのですが、男性役のオーディションを行った際に相手役としてセリフを読んだ彼女を見て、写真家の役を演じる女優を見つけたことに気付いたのです。
Q:前半と後半の切り替えなどが大変難しい役でしたが役作りはいかがでしょうか?
アイーダ・エル・カーシフ(女優): 私は女優ではないので、演技については意識しませんでした。もし自分の目が不自由だったらどうだろうか?突然目が見えるようになったら?と考え自然に演じていました。撮影現場もアーナンドの家で、スタッフのオフィスでもあり私はそこに滞在していたので、とても親密な雰囲気で居心地がよく、自然に役に入っていくことができました。
Q:作品の中の登場人物が作品の中でよく歩くのですが、歩き方のパターンの違いなどに意図があるのですが?
アーナンド・ガーンディー監督:私自身、歩きながら考えることを推奨するガンジー、ジャック・デリタ、サティッシュ・クマールなどの著名な哲学家に強い影響を受けています。周囲の環境に身体的にかかわりをもつ「歩く」という行為に惹かれるのです。10代の頃からガンジーが歩いている姿にインスピレーションを受けています。登場人物の歩き方の違いについては、それぞれの性格と映画の中で役柄に与えた「空間」によって変化をつけました。アイーダは目が不自由なので周囲の様子を常に探検しながら歩いており、僧侶は自分に対して何の疑問をももっておらず躊躇せずにまっすぐ歩き、3人目の男性については彼が生活する高いタワービルから狭い道をおりてくるといったように、それぞれの性格を暗に示しているのです。
Q:なぜ臓器提供や延命を映画のテーマとして選んだのですか?
アーナンド・ガーンディー監督:自分は何者なのか?生きること、そして死の意味は?ということに行き着くのだと思います。歴史的にみても人間はイマジネーションを駆使して未知の世界への恐怖を克服しようとしているように思います。私は人間がもつ死に対する考え方や輪廻への執着、そして文学や芸術を通じてその答えを求めようとする姿勢に非常に興味をもっているのです。
アイーダ・エル・カーシフさん:臓器提供は受け取る立場であっても提供する立場であっても私にとっては難しい問題です。私自身は信心深くはないですし宗教は関係があるとは思いませんが、人は育った環境に影響を受けますしエジプトは文化が異なる国です。私自身は臓器提供を受け入れるべきだという考えはありますが、感情的には受け入れることが難しいです。
コンペティション
『テセウスの船』
監督/脚本:
アーナンド・ガーンディー
キャスト:
アイーダ・エル・カーシフ
ニーラジ・カビ
ソーハム・シャー