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2012.11.30
[イベントレポート]
12/1(土)公開!「ゴダールやガレルのような退屈な部屋の映画を目指した」──10/22(月)日本映画・ある視点『愛のゆくえ(仮)』:Q&A

12/1(土)より東京・ポレポレ東中野にて公開開始!
公式サイト
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10/22(月)日本映画・ある視点『愛のゆくえ(仮)』の上映後、木村文洋さん(監督・脚本)、前川麻子さん(女優・脚本)、寺十吾さん(俳優)が登壇、Q&Aが行われました。
愛のゆくえ(仮)

©2012 TIFF

 
司会:この映画は逃亡犯、平田信の潜伏生活に着想を得たものです。なぜ、あの事件をもとに映画にしようと思ったのでしょう?
 
木村文洋監督(以下、木村監督):15歳の時に地下鉄サリン事件が起きたのですが、映画を作るにあたっては、それから17年間自分が何を考えてきたのかということに、向き合わざるを得ませんでした。私は青森出身ですが、近所の銭湯に平田の等身大の手配書があった。正直に言うと、17年の間に事件について考えなかったことも多いし、忘れていたことも多い。ただ事件を起こした教団の人がみな一様に弾劾されるべきかと言えば、一概にそうだとは言い切れないと思います。平田は去年の年末に出頭しますが、匿っていた女性がその後弁護士の方と共に声明を出されていまして、その間にも何度も出頭しようと考えていたのを知りました。仮谷さんの奥さんがテレビで話をしたときもそうで、申し訳なくて出頭しようと思ったのにできなかった。出頭するきっかけは、東日本大震災の不条理さを見て情けなくなったからです。記事でそのことを知ったとき、そんな馬鹿なことはないと思いました。そんなことで死生観が揺らぐのなら、17年もの潜伏を耐えられるはずがないし、拉致事件など起こさなかったのではないか。そうしたことを考えてみたくなって、この映画を作りました。
愛のゆくえ(仮)

©2012 TIFF

 
司会:脚本は前川麻子さんと監督が共同で書かれたそうですね?
 
前川麻子(以下、前川):もともとは映画のためではなく、寺十さんと私の2人芝居のために書いたものでした。公演用の台本としては没になってしまったのですが、稽古を見ていた高橋和博プロデューサーがそのことを知って、「木村に撮らせたいからホンを預かってもいいか」と声をかけてくれました。
愛のゆくえ(仮)

©2012 TIFF

 
司会:監督は前川さんが書かれた脚本を読んで、これは映画になるぞと思ったのですか?
 
木村監督:自分が30歳そこそこで主人公が40代の女性である。そんなところから、前川さんの脚本からはいろんなことを教わりました。スタッフもそうで、最後の陽子の長台詞に惹かれて参加したいと言ってくれた人がいました。演出する側としては、浩司の気持ちにも興味があったので、その人物像を2ヵ月かけて作りました。そこでようやく映画になると思いました。
 
司会:今、初めて作品を観た寺十さんの感想は如何ですか?
 
寺十吾:暗いですねえ(笑)。カット間に黒味が入る演出もあって、想像以上に重たく感じました。ただ重いというのも、生きている証じゃないかと思います。ひとつの事柄に対して、みんな自分なりのアプローチの仕方があるはずです。生きていて大きな経験なんて滅多にしないし、日常のささやかな経験のなかで理解したことから取り組んでいくしかない。これは実際にいる逃亡犯をモデルにしていますが、そこには計り知れないこともある。せめて自分に分かることというスタンスで描いてある部分で、観客もいろんなことを感じてくれたらいいなと思います。木村監督にはチャレンジだったと思いますが、観ていて感心しました。
愛のゆくえ(仮)

©2012 TIFF

 
Q:なぜカラーではなくモノクロで撮ったのですか。
 
木村監督:最初に高橋プロデューサーと打ち合わせしたときに、退屈な部屋の映画にしようという話をしました。観客の皆さんにどう受け止められるか分かりませんが、ふだん住んでいる部屋で話をするようなものを目指しました。1960年代から70年代にゴダールやフィリップ・ガレルが作った部屋の映画を思い描いたのです。そうしたら、カメラマンからモノクロで撮りたいという意見が出ました。モノクロでどうなるかは撮ってみないと分からなかったのですが、地下鉄から出たときに光が飛ぶような現象が起こった。光が当たる部分もあれば闇の部分がある。彼らの顔も部屋の風景も、同一のものとして描きたかった。17年に及ぶ時間も、そういったことで描けないかと思った。
 
Q:こうした題材を選んでおきながら、オウム心理教や事件に触れるセリフがありません。なぜ触れなかったのですか?
 
木村監督:マントラという瞑想を男の方はされていた、という記録を読み、それを忠実に再現しようと考えたこともありました。
ですが何より彼らが現世の食べ物、弁当を食べていたということに恥ずかしながら驚きました。女性と恋愛関係にあったことも驚きました。
つまり、俗世の私達と身体が恐らく同じになっていると―想像しました、その中で17年間逃げ、信仰をし、最終的に残ったものは何かを描きたかった。
私達と同じ身体になってから最後に残ったもの、それは彼らの尊師の有名な「人間は死ぬ、必ず死ぬ、絶対に死ぬ」という言葉だと思い、それならばなんで自分は生きているのかを問いかけ、それを信仰ではなく、自分の意思で確認するために外に出て行く―ということを描きたいと思いました。
 
前川:監督が映画用にアレンジしてくれたときの経緯はその通りですが、もともと最初の脚本段階から宗教のことを書くつもりはなく、カルト教団にいた人たちの話ではありますが、この世代の中年男女の行き場のない感覚や、明るい未来が見えてこない状況を描きたかった。長い逃亡生活の末に出頭しますが、彼には女がいてずっと一緒だった。そのことを知ったときに、これはどんな男女でも経験するような物語だと思いました。
 
司会:カレーを作って食べる場面がありますが、これは平凡な日常の象徴として描いたのですか?
 
木村監督:カレーを作るというのはとても映画的だと常々思っていて、前から撮りたいと思っていたのですが、いざ撮ってみると野菜を切るタイミングとか結構悩みました。実際にも、斎藤が働きに出て平田が料理を作っていた訳で、こうしたディテールは描いておきたいと思いました。
 
前川:カレーを食べる場面は最初からありましたが、作る場面は監督が書き足しました。
 
Q:2人は17年間の逃亡生活でいろんな土地に住んだわけですが、なぜ東京を舞台に選んだのでしょう。また、実際には年末に出頭したのに、ゴールデンウイークに時期を設定した理由をお聞かせください。
 
木村監督:出頭の経緯を忠実に描こうとすれば、年末まで待って大阪でロケしなければなりませんが、フィクションにする場合、自分たちの人生で目にした風景を入れたいと思いました。主人公たちの心理を考えると、震災から1年後に出頭したというふうにしたかった。桜を見て、去年の桜を思い出しながら警察に行くというように。荻窪を舞台にしたのは、いま私が住んでいる街だからというのもありますが、地下鉄丸ノ内線で新宿とつながっていて、サリン事件の現場を通過して出頭する展開に意味があると思いました。
 
Q:日常を描いた映画ですが、端から見ればセンセーショナルな題材です。これを作って世に出す意義を監督はどう考えますか?
 
木村監督:以前、原発の映画(08年『へばの』)を撮ったことがありますが、宗教も原発も大変大きな問題であり、普段生活している時間は、どう言及すればいいかもわからない。そうしたとき、自分が普段部屋で何を考えているのか、どんなものを食べて、どんな仕事をして、何を話しているかといった細部から関わっていければいいと思っていて、その部分では、意義のある映画だと思います。
 
Q:タイトルに(仮)と付いていますが、今後、正式に公開されるときにはどんなタイトルにされるつもりですか?
 
木村監督:これが正式なタイトルです(笑)。
 
前川:最初は『愛のゆくえ(没)』でした。没になった公演用台本ということで。略して「愛没」と読んでいたのですが、没じゃあんまりだから仮にしました。
 
木村監督:(仮)を取るか取らないかずっと議論していて、高橋プロデューサーからは取ろうという意見も出たのですが、最終的に、この映画には(仮)と付いていた方がふさわしい気がしました。主人公がずっと本名ではなく仮名で通していたこととか、人間関係についても堂々と結婚できず、かりそめの夫婦だった。そうしたことがあるので、謎かけみたいな気持ちで残すことにしました。いつかは取るんでしょうと周囲からは言われますが(笑)。
 
Q:新聞や雑誌で知り得ることのほかに、独自に取材をされたのですか?
 
前川:特別なことはしていません。
 
Q:最初は出頭事件そのものに惹かれたが、中年男女の未来のない同棲生活を描いたとのお話でした。実際には、どこまで事実に沿っているのでしょう。たとえば本棚にある本は、実際に彼らが読んでいたものですか?
 
前川:2人芝居用に書いた最初の脚本はほぼセリフしかないものです。細かいディテールは何も書いてなくて、部屋に男と女がいる。状況説明のト書きがあって会話が始まるというものです。私の家にはテレビがなくて、新聞を読んで事件のことを知ったのがきっかけです。日本全国どこに行ったと書いてあるのを読んで、一晩で脚本を書き上げました。映画の冒頭に「去年の今頃は…」と出てきますがあれは前口上的に書いたもので、木村監督が映画用のモノローグにアレンジしてくれました。何も調べずに書いたものを、監督がいろいろ調べて補足してくれたのです。
 
木村監督:新聞や雑誌などできるかぎり調べたのですが、その中で取捨選択して取り入れたもののひとつに、割り箸の話があります。食事のときに割り箸を使うと、付着した唾液からDNAが判定されて捕まる可能性がある。連合赤軍の重信房子が煙草の吸い殻をDNA判定されて捕まったことを彼女は知っていて、ずっと割り箸を使わなかったし、煙草の吸い殻を燃やすようにしていた。たしか実際の部屋はテレビと布団がひとつずつあるだけの殺風景なもので、それをリアルにやるよりは、どんなものを読んでいたのか想像して、本棚や雑誌から人物像を膨らまそうとしました。
 
司会:この映画は今日がワールド・プレミアで、映画祭では10月25日にもう一度上映されます。その後、2012年12月1日よりポレポレ東中野にてロードショー公開が決まっています。誠実な青年監督が撮ったとてもチャレンジングな作品であり、映画祭としてこれからも応援していきたいと思います。皆さんも是非、作品のことを広めていただければうれしいです。ありがとうございました!
 
 
→『愛のゆくえ(仮)
木村文洋監督 公式インタビュー

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