コンペティション 『もうひとりの息子』 記者会見のご報告
日時・場所:
10/24(水) 15:00~ @TIFF movie café
登壇者:
ロレーヌ・レヴィ(監督/脚本)、ヴィルジニー・ラコンブ(プロデューサー)、ジュール・シトリュク(俳優)
ロレーヌ・レヴィ(監督): 初めて日本に来ましたが夢がかないました。あまり出かける時間はないですが、今朝は美術館に行きました。
ヴィルジニー・ラコンブ(プロデューサー): 監督と同様、日本は初めてですが東京国際映画祭も日本の人々も素晴らしいです。
ジュール・シトリュク(俳優): 私は幸運なことに日本は2回目です。初来日は数年前に横浜で開催されたフランス映画祭の時でした。生涯の中でも最も美しい旅のひとつとして記憶に残っています。本作品と共に東京国際映画祭に来ることができて大変嬉しく思います。
Q: 2回のうちの上映会の1回を終えQ&Aも終えた現在、日本の観客の反応をどう感じましたか?
監督: お客さんが映画を見て感じたことについて直接話すことができ、とても感動しました。政治的というより人間性にふれた質問が多かったと思います。
ジュール・シトリュクさん: Q&Aの前に日本人はシャイなので質問がすぐに出ないかもしれないと言われましたが、すぐに数多くの質問があり、また政治的な質問よりも感情についての質問が多く、感動しました。そしてQ&Aに、前回来日した際の私の出演作品『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』を見たのがきっかけでフランス語を習い始めた、という方がいらしていてとても嬉しく誇りに思いました。
Q: 最初にシノプシスを持ち込んだ方の宗教的バックグラウンドを教えてください。
プロデューサー: その方はユダヤ系のフランス人男性で、映画業界の人でもシナリオライターでもありません。彼の数ページのアイディアをもとに、脚本家を雇いシナリオに落とし込みました。
Q: ヨルダン西岸で撮影したとお聞きしていますが、監督として最も困難だった点は?
監督: この映画はすべての撮影をイスラエルのユダヤ側・パレスチナ側で行っています。困難もありましたが、心が高揚するような情熱を感じる体験で、感動や冒険、学ぶことが多くありました。一番大きな困難はパレスチナの家族を描くシーンのためにラムラという村にいった時で、村人は撮影を嫌がり初めは脅されたりもしました。ですが、私たちの撮影チームはフランス人、イスラエル系ユダヤ人、イスラエル系アラブ人、パレスチナ系アラブ人、キリスト教アラブ人などさまざまな人種・宗教の人間が混ざっており、チームメンバーが話し合いに加わって助けてくれ、問題を乗り越えることができました。
Q: イスラエルでの撮影は初めてだったと思いますが、フランス系ユダヤ人として監督自身が撮影を通して個人的に得たものは?
監督: イスラエルを観光で訪れたことはありますが、撮影は初めてでした。人生の冒険でした。脚本は私を含む3人のフランス人が書いたため誤りもあったので、現地で立場をこえて話し合いを重ね、先入観が入り込まないよう直しを入れました。イスラエル・パレスチナ両者が共に前進する内容になることを目指したのです。この作品はお互いに手を差し伸べることを描いた、希望の映画です。
両者を分かつ壁は高く、これは人間の苦しみを象徴する壁です。しかし壁の両側には若者がおり、彼らは自由に行き来がしたい、自分たちの声を聞いてもらいたいと思っています。両方の若者に希望を与える映画になってほしいと願っています。
Q: 映画の最後の方でジョセフが相手家族の家に行き歌を歌う場面がありましたが、あれはどういう歌ですか?
監督: あの歌はパレスチナの童謡です。音楽は政治的な対立を超え、人を結びつけるということを表現したかったのです。それを体現するような歌であること、一生懸命覚え、血のつながった家族のために歌う場面にふさわしい、シンプルな歌でなければなりませんでした。ジュール演じる少年があの歌を覚え歌うことは、家族に対し自分から歩み寄っていることを表現しているのです。だからこそ、とても美しい歌詞の曲なのですが、少年が知らない言語の曲を習得したことを示すためにあえて翻訳の字幕を入れませんでした。
ジュール・シトリュクさん: もっとも難しかったシーンのひとつで、撮影には1日かかりました。アラブ音楽は西洋の音楽とは異なるので数週間、レッスンを受けました。ですが役柄上、完璧にアラビア語を歌う必要はありませんでした。 このシーンは困難を為す努力をすることで登場人物が成長したことを表現したシーンです。自分の置かれたシチュエーションを受け入れ、血のつながった家族に心を開き、父親が差し伸べた手を取るという感動的なシーンです。演技はしていますがそこで感じた感動は本物です。