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2012.10.30
[イベントレポート]
10/24(水)natural TIFF出品『最後の羊飼い』:Q&A

10/24(水)、natural TIFF出品作品『最後の羊飼い』の上映後、マルコ・ボンファンティさん(監督/脚本)、アンナ・ゴダーノさん(プロデューサー)によるQ&Aが行われました。

©2012 TIFF

 
東京にようこそお越しくださいました。このnatural TIFF部門には毎年必ずイタリアの作品が出品されます。それは、イタリアの自然をテーマにしたドキュメンタリーの質の高さを表しているのではないかと思います。到着したばかりですが、日本の印象をお聞かせください。 
 
マルコ・ボンファンティ監督(以下、監督):漫画が大好きで何年も前から東京に来たいと思っていたので、今回作品が選ばれて来日することができ、とても嬉しいです。私の父親の世代はアメリカの神話で育ちましたが、私の世代は日本のアニメで育ちました。だから、日本の皆さんは私にとって神話のようなものです(笑)。
 
アンナ・ゴダーノさん(以下、ゴダーノさん):私も東京に来ることを夢見ていました。来日する前のイメージとは違って、なんとなく身近なものを感じています。静かな気持ちでいられる街ですね。
 

どうしてこんなことを考えついたのですか?
 
監督:素晴らしい質問ですね。最初は、大聖堂の前に羊がいるイコン(聖像)を見て、衝撃を受け、この物語を考えました。中世の人は羊を売って、大聖堂を建てるお金が集まるまで羊を売って暮らしていたのです。昨年上映されたヘルツォークの『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』はユング的な映像だと思ったのですが、イコンを見たときにこの作品にもそれにつながるものがあると思いました。
ミラノはファッションと強く結びついた街ですが、ピサピアという新しい市長は強いインパクトを与えるため、ドゥオーモ広場でのファッションショーを禁止しました。彼は前の市長よりももっと自然を大事にしたいという考えの持ち主なのです。以前だったらドゥオーモに羊を連れてくるなんて許可は絶対降りませんでしたし、予算もありませんでしたが、どうしてもやりたいと思ったので議会で訴えました。すると、すぐに許可が下り、撮影に必要な許可を無料で出してくれたのです。羊たちを運ぶ2台のトラックと、広場の石畳を保護するものの料金は支払いましたが、撮影後の広場の掃除などはミラノ市の清掃局が無料で協力してくれました。きっとみんな僕の頭がおかしいと恐れたから、許可を出してくれたのではないかな(笑)。
 

©2012 TIFF

 
この映画を観ていると、羊はもちろん、レナートという人のすごさにも我々は圧倒されます。彼とはどのようにして出会うことができたのですか?
 
監督:彼は忍者のような生活をしていて、なかなか捕まえることができませんでした。最初に彼と会った時は「あ!シュレックだ!」と思いましたね(笑)。イタリアには動物虐待を訴えるテレビ番組があるのですが、羊を外で飼うことを虐待だと勘違いする人もいることから、レナートはその番組で自分が告発されるのではと思っていて、「映画を撮る」と言っても私たちをなかなか信じてくれませんでした。
実際にレナートと仕事をしていく上で、難しいことはたくさんありました。ようやく仲良くなり、一緒に仕事をしようと信頼を得たのですが、監督が求めているものを彼から引き出すのは非常に難しいことでした。演じていると同時に彼自身でもある、彼自身であると同時に演じてもいるという感じだったので苦労することも多く、彼もそのやり方にすぐに納得したわけではないので、下手すると彼に殴られる危険性もありました。あの体格で殴られたらひとたまりもありませんからね(笑)。
 

(製作にあたって)台本があったということですか?
 
監督:はい。あってなかったようなものです。彼自身が持っている「新しい自由」というt感覚を引き出したかったので、脚本は彼自身のなかにあったと言うこともできますし、私が書いたとも言えます。私はレナートのことを、一種のヒーローでドン・キホーテ的な人物でありながら、自分が持っている幻想と戦っている人物、寓話的な人物であるけれど最終的にはもとに戻らねばならないという哀しい部分を持っている人物だと考えています。
 
ゴダーノさん:彼と会って1年が経ってから、1年かけて撮影をしました。映画からはわからないかもしれませんが、彼は実はとてもシャイな人なのです。私たちも彼に対して非常に閉鎖的なところがあったし、監督もレナートのやることを理解しきれない部分もありました。彼の存在は宮崎駿のトトロともいえると思うのですが、レナートのなかにあるものを短い言葉で表現するために、脚本を書かねばなりませんでした。
 

©2012 TIFF

 
素晴らしい作品をありがとうございました。人生で初めてイタリア映画を観ました。僕は大学で環境学を学んでいます。大都会のミラノのなかで子供たちが羊と戯れるシーンがありましたが、自然を消費して人工物が増えていく現在、羊というのはその自然を体現するような存在だったと思います。監督はこの作品を作るにあたってどのような考えを持っていたのでしょうか?
 
監督:すごく難しい質問だと思います。この作品には僕の思いが込められているので、気に入っていただけてとても嬉しいです。最終的には微笑みがこぼれるような映画になりましたが、僕自身はとてもペシミストです。人に希望を与えなくてはならないと思ったのでこのようなエンディングにしました。いま撮られている映画というのは、映画祭で賞をもらうような映画も悲しいものが多いと思います。朝起きて僕の部屋の窓を開けると目の前に壁があるのですが、その壁の向こうには悲しみが広がっているのです。
私は専門家ではないのでこういうことを言う権利はないかもしれませんが、人類が今の生活を続けていったら、遅かれ早かれ滅亡に向かうと思います。たとえばアマゾンの熱帯雨林が伐採されていたり、石油を取りすぎていたりなど、人間は地球の自然を搾取しています。今年の5月にイタリアのエミリア・ロマーニャ州で大きな地震がありましたが、その州は今まで地震の起きるような地域ではなかったのです。実証はされていませんが、あの地震には環境の変化が影響しているのではないかと思います。
 
ゴダーノさん:いま人類は自覚を持たないといけないと思うのです。人間はずっと走り続けてきて、様々なものを発展させてきましたが、それは決していいことではないと思いますし、私は映画を通じてそのような自覚を促していきたいと思います。この映画ではミラノを描きましたが、それは世界中の大都市に共通することだと思います。レナートと会ったことのない人がミラノにはたくさんいて、そういう人々は生活に追われていてレナートに出会えるような時間さえないわけです。それを映画で伝えることができるのではと思っています。
 
監督:この映画のなかで、こどもたちによって無垢が体現されています。彼らだけがレナートと出会うことができますし、レナートのような人間になることを夢見ることができる。そういう可能性を子供たちはまだ持っているのです。レナート自身も「大人たちには飽き飽きさせられるけども、子どもたちとは一緒にいて疲れることはない」と話しています。
 
最後の羊飼い

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