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2012.10.30
[イベントレポート]
10/24(水)日本映画・ある視点部門 PFFグランプリ受賞作品『くじらのまち』:Q&A

10/24(水)、PFFグランプリ受賞作品『くじらのまち』の上映後、鶴岡慧子さん(監督/脚本/編集)、飛田桃子さん(女優)、片野 翠さん(俳優)、山口佐紀子さん(女優)、佐藤憲太郎さん(俳優)、中嶋 健さん(俳優)のQ&Aが行われました。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
みなさん立教大学の同窓生で、在学中にこの作品を作られたそうですが、どういう目的で製作された作品なのですか?
 
鶴岡慧子監督(以下、鶴岡監督):私と片野さんは大学で映画を勉強していたので、4年生の時に卒業制作としてこの作品を作りました。制作に関わってくれたメンバーは、映画を作るサークルに所属している先輩や後輩です。今日登壇している人で言うと、佐藤さんが先輩、中嶋さんと片野さんが私の同級生で、飛田さんと山口さんが後輩です。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
大学のサークルの集大成がこの作品ということですね。脚本は、片野さんと共同で書かれたのですか?
 
鶴岡監督:基本的には私が書いて、片野さんをはじめ全員に見せ、相談に乗ってもらいました。皆から色々な意見をもらって私が書いていったという感じです。
 
この物語は一体どのようにして作られたのですか?
 
鶴岡監督:最初は片野さんと一緒に全く違うストーリーを考えていたのですが、震災を受けて一旦白紙に戻しました。そして、最初の脚本から決まっていた誰かを探しに行く話という内容と、震災を受けた心境の変化を反映させて書き直しました。脚本は撮影と並行しながら書いていったので、私自身も最後の最後までどのような終わり方になるのか把握できていませんでした。
 
片野さんは共同で脚本を担当されたということですが、どのような関わり方をされたのですか?
 
片野 翠さん:共同作業というよりは彼女が書いてきたものを僕が読んで、「ここはこうしたら」「これはない方がいい」と要求していました。監督が書いて直すというのが主な流れで、撮影中も直していたので当日に脚本が上がったりして、大変そうでした。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
人を探す物語ということと、高校生が登場人物ということは決まっていたのですか?
 
鶴岡監督:そうです。その時期に観ていた作品の影響もあったと思うのですが、脚本を書くときは、自分たちの年齢より少し離れた人の方が書きやすいと感じていました。
 

まちを演じた飛田さんをはじめ、役者の皆さんにお伺いします。なかなか物語の全体像が見えない中で、演じていて苦労はしませんでしたか?
 
飛田桃子さん:ラストまで話の流れがわからない部分もありましたが、演じていく中でまちという役について自分なりによく考えていたので、迷うことはありませんでした。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
山口佐紀子さん:中学高校と女子校だったので、特に告白のシーンはイメージが掴めず、緊張しました。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
佐藤憲太郎さん:僕自身の役には変更があまりなかったので、最初に固めた動きのまま動きました。
くじらのまち

©2012 TIFF

 
中嶋 健さん:監督と家が近所なのですが、帰り道に偶然出会った時に「映画出ない?」と言われて出ることにしました。(笑)
くじらのまち

©2012 TIFF

 
震災を受けどのように脚本を変更し、作品に反映したのか教えてください。また、タイトルの『くじらのまち』の“まち”は主人公のまちとかけているのでしょうか?
 
鶴岡監督:震災後、津波でたくさんの人がいなくなってしまったという事実が自分にどしっとのっかってきて、その状況を無視して作品作りはできないと思いました。津波を受けて気持ちが海に向かっていたこともあり、ラストで海を出しましたし、水を意識して色んなシーンで映すようにしました。
タイトルに関しては、もともとくじらがすごく好きで、それを入れようと思っていました。最初は、作中の東京に行ってくじらを見るというシーンから東京全体を「くじらの街」と呼ぼうと考えていたのですが、あるスタッフが「街はひらがなの方がいいのでは?」と提案をしてくれました。主人公のまちという名前はもともと決まっていたのですが、ダブルミーニングになりえるということはそれまで気がつきませんでした。本当に偶然です。
 

窓を飛び越えたりもめたりするシーンなど、動きの演出を意識的にされたのではないかと思いました。エンドクレジットに万田邦敏監督の名前がありましたが、何かご指導いただいたのですか?
 
鶴岡監督:万田先生のゼミに入っていたので色々と指導は受けていたのですが、私は劣等生で、途中から先生の前から消えて勝手に作り上げてしまいました。(笑)
 
それは、あの万田邦敏に反抗したということですね?(笑)
 
鶴岡監督:いえいえ!違います!(笑)締切りが近づいてとても混乱してしまって、やっちゃえ~という気持ちで撮り始めてしまいました。ただ、どこかで先生の影響は受けていたと思います。また、当時観ていた映画からも影響を受けていたと思います。とにかく、女の子が体をよく動かすことに興味がありました。それにきちんと応えてくれる役者さんだったので、ロケハンをしながら「この場所だったらこういう動きができる」というのを探りつつ、作っていきました。
 
万田さんはPFF出品前に作品をご覧になったのですか?
 
鶴岡監督:はい。撮影は去年の9月から始め、12月の頭までかかってしまいました。12月15日が卒業制作の提出期限で、その時に観ていただきました。「よかったよ。飛田がよかった」とおっしゃっていました。
 
PFF受賞のご報告はされましたか?
 
鶴岡監督:メールで連絡をしたら、とても喜んでくれていました。
 
非常にいい作品だったのでびっくりしています。最初のまちが泳いでいるシーンは、まるで水の中の生き物のようでした。長野と東京でロケを行って、大変だったことは何ですか?
 
鶴岡監督:9月に1週間長野でロケをして、東京でその続きのロケをしました。私にとってもスタッフにとっても役者にとっても大変だったなと思っているのは、3人がずぶぬれで橋の上を歩くシーンです。12月の夜中の2時位に、長いワンカットを20テイクくらい撮影して、本当に大変でした。
 
お兄さんの友達はなぜニューハーフだったのですか?
 
鶴岡監督:それは毎回聞かれます(笑)。この作品の前に私は短編を一本撮っているのですが、そのなかでも佐藤さんに同じようなニューハーフの役を演じていただいています。そういうことをテーマにしたいわけではなく、言葉遣いや身振り手振り、服装の時代性や性別があいまいな不思議な存在を作品に取り入れるのが好きなのです。
 
みなさん映画を勉強なさっているとのことですが、今後どのような方面で活動していきたいのですか?
 
佐藤さん:いま俳優活動を続けているのですが、今日こうして自主映画を観るためにこんなに多くの方々が集まってくれているのを見て、とても嬉しく思いますし、励みになります。このような機会をくださった東京国際映画祭と観客のみなさんに感謝をしたいと思います。ありがとうございます。
 
片野さん:1年前に撮影をしているときは「自分は将来どうするのかな」と悩んでいたのですが、今回この作品でこのような場まで来ることができ光栄です。ここまできたら腹をくくって、どこまで映画にかかわっていけるのか、俳優業で頑張りたいと思います。
 
飛田さん:私はいま大学3年生で、来年卒業制作をするかもしれないので、それをまずは頑張りたいと思います。
 
鶴岡監督:私はいま大学院で映画を専攻しているので、もっと経験を積みたいと考えています。このような貴重な場でいい経験をさせていただいたので、この作品に経験させてもらったことを活かしつつも、1度この作品からは離れて、また次のステップに進みたいと思います。ずっと作品を作り続けていきたいです。
 
ということは、これからも映画監督として活動していきたいと言うことですね?
 
鶴岡監督:はい(照れ笑い)
 
これからも活躍していただきたいと思います。東京国際映画祭としても、PFFとともに応援していきます!

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