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2012.10.31
[イベントレポート]
「自分自身は自宅に置いてきて別の人間になろうとする、それが役者の仕事です」―10/25(木)WORLD CINEMA『眠れる美女』:Q&A

10/25(木)WORLD CINEMA出品作品『眠れる美女』の上映後、ピエール・ジョルジョ・ベロッキオさんによるQ&Aが行われました。
眠れる美女

©2012 TIFF

 
司会:非常に深刻な役柄でしたね。実際のベロッキオさんはとても明るい方だったのでビックリしました。
 
ピエール・ジョルジョ・ベロッキオさん(以下:ベロッキオさん):コメディをやることも出来るのですが、今日はやめておきます(笑)。
 
司会:我々日本人にとって、この作品の題材となっているEluana Englaro(エルアナ・エングラロ)さんの事件はあまり馴染みがなかったのですが、聞くところによるとイタリアでは国内を二分することになるような大事件だったということですが、その辺についてお伺いしてよろしいですか?

 

ベロッキオさん:イタリアでは非常に有名な事件です(※)。その訴え自体よりも、イタリア国内の反響は当時政府にいた政治家がプロパガンダとしてこの事件を利用したというところが大きかったです。エングラロ側としてはこの訴えが記事になることを望んではいませんでしたが、政治家というのは一面記事に載るためにこういう事件を利用するわけです。映画の中でもご覧いただけたように、彼女の運命というのはすべて法律が通って、彼女が亡くなるということは決まっていましたが、にもかかわらずその為にわざわざ法律を作り、さらにそれを阻止しようとする動きがあったわけです。
※92年に交通事故で昏睡状態となったエルアナ・エングラロさんの父親のベッピーノ・エングラロさんが、1999年に娘のエルアナさんの栄養補給チューブを外すよう求める訴えを起こし、2008年11月にその訴えが認められた。
 

司会:多少プロパガンダ的なところがあったとしても、日本ではちょっと考えられないことかなと思いました。尊厳死をめぐって、司法と行政が完全に対立しあれだけの国民が議論に参加するというのは、キリスト教の国だからということだからでしょうか。

 

ベロッキオさん:そのためにイタリアには法王がいるわけです。映画の中でも語られていますが、法王を無視して政治を行うことはできない、そういう国なので選択肢が非常に限られてくる。ですからこういった結果になるというわけです。
眠れる美女
 

司会:映画の話になりますが、映画の中で別々の3つの話が同時進行していきますよね。別々に撮られたわけで、同じ映画だけどキャストが交わるといったことは全くなかったということでしょうか。

 

ベロッキオさん:映画の中では3つのストーリーがあり、それぞれは干渉し合うことなく、独立した話として進行します。その中でこの問題に対する3つの異なる視点が明らかにされていくわけです。カトリックといろんな矛盾をカトリックからの視点が語られ、政治的な視点では政治的な矛盾と共に描かれ、また人間的な目から宗教とはかかわりない立場から描かれるわけです。医師と患者の話ですけれども、一番ダイレクトに人間的な立場から問題を扱っているエピソードになっています。

 

司会:監督のマルコ・ベロッキオさんはお父様ですよね?お父様から、今度こういう映画をやるから、この役をやらないか?という話はあるのでしょうか。

 

ベロッキオさん:もちろん、それは疑いのない所です。最初の映画は父と7歳の時に撮りました。それから、7~8作の作品を父である監督と撮っています。その都度全く違うプロセスを辿っていまして、特に最近の3作は全部出ていますけれども、基本的にはまずオーディションを受けさせられます。けれどもこの映画に関しては、「この役はお前だ、お前の役だ」ってオーディション無しでやることになりました。オーディションを受けるということは役者にとって大変なことなのですが、逆にテストに受かったということで確信できるので、役には安心して入ることができます。ですので最初に演技に入る前は今回非常に怖かったです。

 

Q:ピエール・ジョルジョ・ベロッキオさんの役者としての充実ぶりがすごいなと思って見ていました。『夜よ、こんにちは』(2003)の時の役柄から『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(2009)の時の役柄とも全く違って、クレジット見るまで同一人物だと分からなかったくらいでした。『愛の勝利を~』を見たのですが、その時もピエール・ジョルジョさんの顔つきが変わってくるという過程がすごくよく分かりました。この10年間くらいになにか重要な出来事があったではないかと思うくらいの変わりぶりだったので、役者として、決定的な大きな自信のようなものがあったのか、それをお聞きしたいです。

 

ベロッキオさん:この10年間、非常に多くのことが自分に起きましたけれども、基本的に役者という職業は役の人物になりきろうとする、そういう仕事だと思います。自分自身は自宅に置いてきて別の人間になろうとする、それが役者の仕事です。全く別人に見えるということは役者として最大の賛辞だと思います。道を歩いていてすぐに気が付かれてしまうようだと、自分としては良くないのかもしれません。俳優一人一人の役についての在り方というのは別なので、そういうやり方も良いのかもしれませんが。この10年は実際に多くのことが起こりました。結婚しましたし、二人の娘が生まれて、そのことが自分を良い方に変えてくれたのではないかと思います。いずれにしても、顔をいじったことはありません(笑)。
眠れる美女

©2012 TIFF

 

Q:監督の演出プランで、画面には映らない登場人物の過去について話し合ったり、現場で具体的にこういう表情をしてくれという指示はありますか?

 

ベロッキオさん:監督が役者を演出するわけですが、役者の想像力に委ね、クリエイティブな面を構築する場合もあります。ですが、最終的に監督は自分が求めているものを必ず役者から引き出します。今回演じた医師の過去に関しては、映画ですのでテレビドラマとは違ったアプローチで部分的に見せることしか出来ないわけです。選択をしなければならないので、生い立ちや全てを見せるということは出来ないのです。でもこの人物は、非常に素晴らしい過去を持っている、過去に素晴らしいことをした、幸せな人生を送っているというタイプではないことはわかります。ある程度経験を積んだ年齢になって、自分の医師としての職務を全うしている人物だということははっきりしています。全く欠点のない医師ではないですけれども、また、時には誰かを傷つけたりもしていると思うのですけれども、とりあえず自分の医師としての仕事は全うしている。若い女性に出会い、彼女の中に自分自身を見ているわけです。ですから彼女に対して熱心になるわけです。それは彼自身の人生への、命への挑戦。彼女を生きさせるということは自分自身に医師としてだけではなく、人間対人間として、人間に接するということがいかに大事かということを示しています。それが自分にもできるのだということを自分自身に見せることを彼は求めていた。非常に彼にとって重要なことですので、あれだけ熱中するわけです。

 

司会:共演のマヤ・サンサさんとほぼ二人芝居だったと思いますが、円熟のお芝居でしたよね。

 

ベロッキオさん:マヤ・サンサと共演するのは3作目となります。3作目で二人で芝居をするという、そのことによってお互いの才能だとか、お互いにお互いの持っていない部分を引き出すことができたと思います。マヤ・サンサは技術的に非常に高いものを持っていて、すごく素晴らしい役者です。彼女は頭で仕事をすることがあって、自分はお腹で直感的に仕事をすることがありますが、全く違う世界から出発している。この違いは必要だったわけですが、役の中では全く違う人物を、お互い演じなければいけないということで、自分たちの役者としての違いということも必要だったわけです。それによってお互い成長することができました。また共演して分かったことは、彼女は役者をするうえできっちりと細かく丁寧に考え、自分をコントロールしながら役に挑むことが非常にうまいので、私は驚かされました。自分は飛び込むタイプなのですが、彼女は彼女でそのあたりのことを学んでくれたと思います。例えれば私は飛び込むタイプと言っても、どこに飛び込むかを全く考えずに飛び込むタイプで、時々は見た方がいいということがわかりましたし、逆に彼女はときどきは何も考えずに飛び込んでいくことも大事だということがわかってくれたと思います。

 

司会:ありがとうございました。お話は尽きませんがそろそろ時間となってしまいました。もう一度大きな拍手をお願いします。

 
眠れる美女

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