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2012.11.01
[イベントレポート]
「交わることのない階級の人たちが一緒にご飯を食べることに意味があるのではないかと思います」―10/25(木)natural TIFF 『聖者からの食事』:Q&A

10/25(木)natural TIFF supported by TOYOTA『聖者からの食事』の上映後、フィリップ・ウィチュス監督によるQ&Aが行われました。
フィリップ・ウィチュス監督

©2012 TIFF

 
司会:ウィチュス監督は今日が初めての登壇ですね。映画祭にいらした感想からお伺いしたいのですが。
 
フィリップ・ウィチュス監督(以下、監督):まだ映画は見ていないのですが、ただ劇場の技術がすごいなと。音と映像が非常に良質だと思いました。
 
司会:短い時間でほぼ説明がなく、すべてを見る人間に委ねるという作り方ですね。説明を一切排して、これだけの力強いものを撮れるというのは、一体どのようなアイデアからこの作品を思いついたのでしょうか。
 
監督:2004年にインドで古典インド音楽についてドキュメンタリーを撮ったことがあるのですが、その時にパキスタンの音楽家にお会いしてこのチームを見つけ、映画で登場するキッチンに招かれて拝見する機会がありました。
 
司会:そこで一緒に食事をしたのですか?
 
監督:はい、毎日一緒に食事をさせていただきました。24時間営業のキッチンみたいな感じで夜に撮影がある時は非常に便利でした。
 
司会:手の動きがとても印象的なのですが、あまりにもリズミカルに手が動いているのは、意図的にこう撮ろうと思っていたのですか?
 
監督:そうですね。セリフがない代わりに、振付といいますか動きで表そうと思いました。
 
司会:それではみなさんからの質問をお受けしたいと思います。
 
Q:ドキュメンタリーですが劇映画以上にダイナミックなサウンドを感じました。ベルギーの監督とお聞きし、最近ではダルデンヌ兄弟の『少年と自転車』などドキュメンタリータッチで劇映画を撮っている監督もおられて、そうした作品を見る機会がありますが、将来的には劇映画を撮る計画がありますか。
 
監督:はい、お仕事になるなら何でも撮りたいと思います。
 
Q:インドにはヒンドゥー寺院もあって、ヒンドゥー寺院にもあのような大人数で食事をする場所があるのですが、なぜシク寺院にフォーカスしたのか教えてください。
 
監督:確かにヒンドゥー教の寺院にもあのようなキッチンはありますが、毎日オープンしているわけではありません。あのシク教の寺院ではフードキッチン、ランガルは昔からあります。ランガルというフードキッチンがシク教の重要な要素になっているわけですが、私は宗教ではなく人間の営みを撮りたいと思いました。シク教徒はどんな宗教の人も歓迎するのでこの寺院を選びました。
 
司会:あらためて食べるという行為の前では人間には差別がない、区別もない、階級もないということがとてもよくわかるんですね。一言もナレーションがないのに、これがずっしりと伝わってくる。やはり映像の力はすごいのだなと思いました。この部門の選考をやっているメンバー全員がこれを見て一撃で圧倒された感じでした。
 
監督:お褒めいただきありがとうございます。この寺院では、シャネルの眼鏡をかけている人が物乞いと隣同士で食べていますが、かといって2つのクラスの人たちが本当に交わるということはないのです。ただそれでも、一緒にご飯を食べることに意味があるのではないかと思っております。
 
Q:私はあそこに行ったことがありまして、靴を磨いてくれて、24時間キッチンもやっていて、すべて無料。日本でも考えられないのですが、それがすべて奉仕活動によって支えられていて夢みたいなところだと驚きました。監督が訪れた時の第一印象はどのようなものでしたか?
 
監督:私も夢のような場所だと思いました。1年も住んでいらっしゃる人もいて、あそこで住んであそこで死のうと計画している若い人もいます。30歳でもう5年いるという人にも会いましたし、12~13歳で両親を失ってずっとそこに住もうという子にも会いました。安全ですし、信者からたくさん寄付が集まってくるので、大企業のようであり、実はその中で腐敗も起きています。
 
司会:この映画を選考したスタッフが、私たちも映画祭を辞めてあそこへ行こうかという話をした時に、すぐにお腹をこわして帰ってくるだろうと諦めたのですが。
 
監督:実はこの食事のシステムは600年間続いているのですが、病気になったりお腹をこわしたりしないようにしていて、外国人でもお腹をこわす人はほとんどいないと聞いています。
食事を提供するときの身振り手振りを見ていただきたいのですが、ヨーロッパでは食べ物を投げたりお皿を投げたりするのは良くないとされています。しかし、彼らはお皿も投げるし食べ物も上から投げるような感じで入れたりします。それには理由があって、相手の指やスプーンに触れると、もしその人が病気を持っていたら、病気がうつって広まってしまうからなのですね。だからパンなども投げるのですが、そうしたことで病気を防いでいるようです。
 
司会:そうだったのですか。あれは理由があったのですね。
 
Q:見ていて思ったのですが、要所要所でこちらに何かを訴えかけるようにカメラを見ているそういうシーンがいくつかあったのですが、それはどのような意図があったのですか?
 
監督:インドではカメラがあるとみんながカメラを見るのですね。それが問題で、10分後にはみんながカメラの前に来てしまって何も撮れなくなってしまったことがありました。最初のほうで、男の人が豆を1個1個取り出している映像があるのですが、あれで10万人分は無理だろうと感じますが、それが結局は無理ではなくて10万人分ちゃんと料理を作ることができるというパラドックスをお見せしようと思いました。
フィリップ・ウィチュス監督

©2012 TIFF

 
Q:映画の中には外国人が映っていませんでしたが、何か意図があるのか、それとも他の場所にいるのか、掃除や食事の準備を外国人も一緒にするのでしょうか?
 
監督:外国人は確かにいました。2人の韓国人はバケツで床の掃除をしていましたし、アメリカ人もいて皿洗いを1時間ぐらいしていました。ただ、掃除や皿洗いをされている他の方々に比べると時間も短かったので、彼らを映画に含めるのはフェアじゃないと思って省きました。
インド人も観光でよく行くので写真を撮ったりしていて、地元の人のようですが観光客です。それは映画に含めました。
 
Q:英題が「Himself He Cooks」ですが、監督ご自身がつけられたタイトルなのか、もしそうであればどういった意味が込められていたか教えてください。
 
監督:タイトルについてはいろいろと話し合いました。最初には、この場所がGolden Temple(黄金寺院) なので「Golden Kitchen」というのも出ましたが、それは宗教色が強すぎると思ってやめました。それでアーケードのところに書いてあった「Himself He Cooks」にしました。「He」というのは神様のことで、神様はどこにでもいる、食事をする時にもいます。このタイトルなら宗教色を薄めることができ、寺院でありながらキッチンにフォーカスできるので、このタイトルに決めました。同時にシク教徒の方々には撮影に協力していただいたので、シク教のスピリッツも現したいなと思いました。
 
司会:無償の奉仕が天上への道ということですね。
 
シャイと言いながらも、茶目っ気たっぷりに質問に答えるフィリップ・ウィチュス監督。「食」という話題と監督の人柄で、温かな雰囲気あふれるQ&Aとなりました。
 
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