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2012.11.01
[イベントレポート]
「2人は煉獄に留まり続ける中で、希望を見つけていくのです」──10/27(土)コンペティション『天と地の間のどこか』:Q&A

10/27(土)コンペティション『天と地の間のどこか』の上映後、イェシム・ウスタオールさん(監督)、ネスリハン・アタギュルさん(女優)が登壇し、Q&Aが行われました。
天と地の間のどこか

©2012 TIFF

 
矢田部PD:コンペティション上映の最後を、この力強い感動的な作品で飾ることができました。ありがとうございます。
 
イェシム・ウスタオール監督(以下、ウスタオール監督):東京国際映画祭にお招き下さって感謝しています。上映最終日の夜に、こんなに多くの皆さんが駆けつけてくれて興奮しています。
 
ネスリハン・アタギュル(以下、アタギュル):皆さん、ようこそお越し下さいました。東京国際映画祭に来ることができて幸せです。初めて東京に来て、多くの人を前にして緊張しています。
 
Q:過酷な内容でしたが、静謐で美しい映画だと思いました。映像的には、窓を多く使っていますね。頬を伝う涙が窓のしずくとオーバーラップする冒頭を始め、曇っていたり澄んでいたりする窓を通して、主人公の心象を描いています。窓のメタファーを通して、何を表現しようとしたのでしょう?
 
ウスタオール監督:大変うれしい質問です。仰るとおりで、窓はメタファーとして使っています。ゼーラの夢や空想、遠くへ行きたいという心情を表現しています。先の見えない世界にいる彼女は、恋愛を空想的かつ逃避的に捉えて、夢見ています。彼女が現実と向き合うことになる段階で、窓のメタファーは消え去ります。つまり、現実と向き合うことから人生は始まっていくのです。もうひとつ、映画の語り口としては、瞬間の繋がりを意識しました。涙としずくを同時に感じてほしい。だから、あのような構成にしたのです。
天と地の間のどこか

©2012 TIFF

 
Q:ゼーラ役はセリフが最低限の量しかなく、主に目と口の動きで感情を伝える難役です。表情のアップを多用していますが、どんな演出意図があったのでしょう。またゼーラを演じたアタギュルさんは全身で演技できず、表情だけで夢や希望、不安、不満、決意を伝えるのは大変だったと思います。演技上、どんな点に気を遣いましたか?
 
ウスタオール監督:演出上、行動を通して感情を語るように配慮しました。これはゼーラ、オルグン、周囲の人物も同様で、感情を五感——−触れること、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと——−を通して体験してもらうためです。こうした体験を通して観客も映画に参加してほしい。五感で感じ、能動的に観てほしいと思って、アップを多用しました。ただ目を映すのではなく、目の中にあるものを感じてほしい。こうした語り口の選択は大変な困難を伴い、俳優にもパーフェクトな演技を要求しました。
 
アタギュル:ゼーラを演じるにあたって演技の勉強をしましたが、それでも大変でした。アップが多く、目を大きく見開いたり、閉じたりするのを自然な表情で演じるのは、難しいことでした。最大限の努力をしましたが、これでよかったのかどうか自分にはわかりません。いい演技だったと皆さんが判断してくれたら、これに優る喜びはありません。
天と地の間のどこか

©2012 TIFF

 
Q:映画ではさまざまなコントラストが描かれています。オルグンは母に捨てられ、ゼーラは束縛されている。車で立ち寄る人物と町に留まるゼーラ。熱い物と冷たい物。コントラストの最たるものは、刑務所の中の結婚シーンです。罪を犯した2人が塀の中で挙式するのは、一見ハッピーエンドに見えますが、未だ身動きの取れない厳しい現実にある点で、救いがない。監督はこの物語を作るにあたって、ダンテの「神曲」煉獄篇に想を得たそうですが、実際のところ、どこまで原作を意識されたのでしょう?
 
ウスタオール監督:いまお話にあったコントラストは、ストーリーの最初の段階から意識していました。原題の「Araf」(トルコ語で「煉獄」の意)は天国と地獄の中間、どちらでもない場所を指しています。脚本を書いた後、撮影クルーを含むチーム全体でダンテを読み直しましたが、そこで私は、改めて原作から受けた感情に嘘はないことに気づきました。小説の意味や私の解釈は確かなものだと感じたのです。煉獄に留まるのは、ある意味で、地獄に行くよりも困難がつきまとう。地獄に行く選択の方がむしろ好まれるくらいです。天と地の間にいることは、罪の裁きを待つことであり、たとえ罪を犯してなくても、処罰の対象として審問を待っている。これは人間にとって、薄皮をはがすような苦痛に満ちたことです。モスクワで上映される機会を得て、行ったときのこと。ある美術館でロッケというドイツ人アーティストの作品を見ました。写真のコラージュですが、そこには私が描こうとしていたビジョンが表現されていて、信じられない気持ちになりました。作品を作ってからとは言え、大変影響を受けました。ゼーラは煉獄を出られるのかわかりません。ただひとつ言えるのは、ゼーラとオルグンは意志を持って人生を続けていくだろうということです。勇敢に対処し婚姻関係を続けていく。でも人生は残酷であり、刑務所を出ることは困難です。2人は煉獄に留まり続ける中で、希望を見つけていくのです。
 
天と地の間のどこか

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