イェシム・ウスタオール監督、ネスリハン・アタギュル(女優)(『天と地の間のどこかで』)
その質の高さで注目を集めているトルコ映画。私はこの映画を観た時、個人対社会の構図を描くトルコ映画の伝統を引き継いでいると感じた。登場人物の持つ激しい熱情、その熱情が図らずも引き起こしてしまう社会的に見たら問題のある行動、それが映画に与えるダイナミズム。私にとってそれは(純粋なトルコ映画ではないものの)ファティ・アキン監督の『愛より強く』から始まり、2010年のTIFFコンペに選ばれたベルマ・バシュ監督の『ゼフィール』にも強く感じたものだ。古くはユルマズ・ギュネイ監督の『路』からの道を歩んでいるらしい意志の強そうな女性と、主人公の少女を演じた強く美しい瞳を持った女優が、目の前にいた。
トルコでは都会と田舎の格差が非常に大きく、諸問題の温床となっているという。監督のフィルモグラフィを見ても、クルド問題に斬りこんだ『遥かなるクルディスタン』など、社会問題にリンクした映画を作っていくという強い意志を感じる。以前は建築家だっということであるが、映画製作を始めた頃から、そのような意志を持っていたのだろうか。ストレートに聞いたら「はい」と即答された。
「確かにトルコ映画にはよく見られるテーマがあります。伝統的な部分と近代的な発展とのぶつかり合い、個人と家族、そして社会との対立、因習、そしてアイデンティティの問題などです」
田舎に飽いたガソリンスタンドで働く少女が、トラックドライバーの男と一夜を過ごす。彼女の妊娠が発覚するが、男は去ってしまっていた…。実話であってもおかしくないような話だが、終盤の流産のシーンは監督の創作だという。
「私自身の体験もありますが、始まりはいくつもの詳細なことからでした。私は生活の半分以上旅をしているので、ガソリンスタンドに立ち寄ったりそこで過ごすことが多いんです。前作の『パンドラの箱』を撮影していた時ですが、ガソリンスタンドで働く若者たちの生活や表情などを観察し、それらのことが繋がって作品になっていきました」
「終盤の流産のシーンは、観客にとってはショッキングなものだと思いますが、自分が少女だったらどうするだろうということを考えて生まれたシーンです。彼女につきまとう孤独、そして恐怖を、観客と共有したいと思いました」
女優のネスリハン・アタギュルさんは脚本を読んだ時、感激したという。
「とにかく語り口が力強いのが素晴らしいと思いました。これは、世界中どこで起こってもおかしくない出来事なのです」
「流産のシーンを演じるに当たっては、様々な準備をしました。彼女の精神状態を理解するために、監督と何度も打ち合わせしました。医者に、実際に生まれるとどうなるのかの質問をしました。テレビやインターネットも参照しました」
「彼女は妊娠してしまった。お腹に赤ん坊がいる。だけど相手の男はもういない。赤ん坊がいるのを頭では理解していても、その子と関係を構築することができない。むしろまったく関係がないかのようです。彼女の病気もそこから発生しています。家族にも話すことができない。彼女のお腹から赤ん坊が出る…それがどういうことであるのか…私は説明することができません」
少々興奮した様子のアタギュルさんを心配したのか、横から口を挟むウスタオール監督はまるで母親のようであった。
「この映画は時系列に扱うこと、順撮りすることが何よりも重要だと思いました。少女のトラウマを、スタッフ全員で乗り越えていったのです。流産の後の精神科による審問のシーンも、実際に流産のシーンを撮った後に撮影していますし、医者も友人の本物の医者に来てもらいました。実際に体験し、そこで何を感じるのか、それをリアルに撮ることがテクニカルな面でも何よりも必要だと思ったのです」
宗教的な見地や、人によっては拒否反応を示す人もいそうである。非常に勇気のいるシーンだとも言える。本国での反応や批評はどんなものだったのか質問したところ、ウスタオール監督は笑って言った。「流産のシーンで顔をそむけたまま映画館から出て行った男性がいましたね」
「ただこのシーンに関する直接的な批判はありませんでした。むしろ若者の悪態が多い、という批判を受けましたね」
「この映画は、男性にとってより受け入れがたい、つらい映画なのではないでしょうか。女性は自らの問題として受け入れることができます。男性にとっては、非常にデリケートな良心の問題になります。男性は、自分が後ろに何を残していったのかを見たくないのです。女性がどれだけ精神的にも肉体的にも苦痛を受けるのかを知ろうともしません。ここには大変大きなカタストロフがあります。この映画を観て、はじめてこのようなことが女性の人生に大きな影響を与えることを知る男性もいるのではないでしょうか」
ネスリハン・アタギュルさんは見事主演女優賞を受賞した。受賞時の笑顔は、ラストシーン、煉獄(この映画の原題“Araf”の意)を生き、乗り越えたのちの花嫁姿の少女の笑顔を彷彿とさせた。
聞き手:夏目深雪(批評家、編集者)