ロレーヌ・レヴィ監督、ヴィルジニー・ラコンブ(プロデューサー)、ジュール・シトリュク(俳優)(『もうひとりの息子』)
フランス映画『もうひとりの息子』では、それぞれにイスラエル人とパレスチナ人の家庭で育った息子が、出生時に病院のミスですり替わっていたことが明らかになる。困難に直面した双方の家族は、息子、父親、母親としてアイデンティティや価値観を見つめ直していく。イスラエルとパレスチナの問題を独自
の視点からとらえた監督のロレーヌ・レヴィさん、プロデューサーのヴィルジニー・ラコンブさん、ヨセフ役のジュール・シトリュクさんにお話を伺った。
――ラコンブさんのもとにシノプシスが持ち込まれたことが企画の出発点ということですが、どのような可能性を感じ、なぜレヴィ監督に話を持ちかけたのでしょうか。
ヴィルジニー・ラコンブ:シノプシスを読んですぐに映画が頭に浮かび、いいものになると思い、よく知る脚本家のナタリー・サウジョンに相談しました。彼女も同意見だったので、オリジナルなアイデアを加えたシナリオを書いてもらいました。監督についてはぜひ女性にやってもらいたいと思っていました。ロレーヌの最初の長編“The First Time I Turned Twenty”は、二十歳になった気分を表した作品でしたが、それを観てとても感動したので、監督をお願いしました。彼女の長所は、非常に公平であること、情熱を傾けて仕事をすること、感受性が強いということですね。
――いまお話に出たレヴィ監督の初監督作は、ユダヤ系でジャズが大好きな少女が男子ばかりの学校のジャズバンドで活動しようとする話で、2作目の“Mes Amis, Mes Amours”は、ロンドンのフランス人コミュニティが舞台になっています。それに3作目のこの『もうひとりの息子』を加えると、アイデンティティや異文化との境界に関心をお持ちのように思えますが。
ロレーヌ・レヴィ監督(以下、レヴィ監督):非常に的確なご質問だと思います。その通りで、自分のアイデンティティということがこれからも私の映画の大きなテーマになっていきます。今回、プロデューサーのヴィルジニーと一緒に仕事をして楽しかったので、次の作品もお願いしています。今度は、自分探しの長い道のりを経て自分に至るという映画を作りたいと思っています。
――政治や宗教やナショナリズムの次元にある対立というものを、家族、父親や母親、息子、兄弟姉妹という次元から見つめ直すことには大きな意味があると感じました。
レヴィ監督:観客の皆さんには、自分に重ねて、母親や父親や息子や友人や恋人として私だったらどうしただろうと考えてほしいんですね。他者の立場に立ってみることは、たとえ何もしなくても考えるだけで、相手に一歩近づくことになる。謙虚なものではありますが、映画はその扉を開くことができると思います。
――シトリュクさんは、この企画のオファーがあったときに、自分が演じる役についてどのような印象を持たれたのでしょうか。
ジュール・シトリュク:シナリオを読んですぐに、自分だったらどのように反応するだろうと考え、役作りをしていきました。俳優としてこれほど深みのある役にあたるということはなかなかないことです。映画のなかで母親も夢見る少年のように言っていますが、彼はどちらかというと直感とか感覚で生きています。そんな少年がどのように反応するのか、監督といろいろ話し合い、彼女にすごく助けられました。監督との作業はいつも必要ですが、今回は特に重要で、彼女は自分のやりたいことがはっきりわかっているので、すぐに共感し、信頼関係が生まれ、深い役作りができたと思います。
――ヨセフの役は音楽が重要になりますが、コーチがついたのでしょうか。
ジュール・シトリュク:もちろんコーチがつきました。もともと音楽や歌に強いわけではなく、またアラブの音楽は西洋の音楽とは違いますので、アラブ人の先生の授業も受けていました。音楽がこの人物の一部を占めているので、なるべく完璧にしたいと思いました。彼は自分の魂が求めるところにいき、音楽というコミュニケーションの手段を使って、もうひとつの家族に近づいていくということです。
――この映画では、家族への視点以外にも、たとえばヨセフがラビと対話する場面やもうひとりの息子であるヤシンとその兄が検問所を通過する場面など、物語というよりも状況が生み出す緊張が印象に残りますが、レヴィ監督はどう思われますか。
レヴィ監督:私は映画のなかの登場人物たちがそれぞれに持つ可能性のなかで答えを出すようにしています。この映画では極端な状況、若者が生まれてから今に至るまでの道程が崩れていきます。今回はその描き方として、それぞれの人物が自分の歴史をたどっていくというシンプルな方法をとりました。ドラマティックな演出をするのではなく、カメラを近づけて淡々と語っていくような構成です。映画のそんな姿勢がご質問に対する答えになっていると思います。
――最初にラコンブさんから「公平」という言葉が出ましたが、公平性を保つために現場でシナリオが変更されるということはありましたか。
レヴィ監督:シナリオには現実と合ってないところがたくさんありましたが、スタッフの助言や現場で出会った様々な人たちのおかげで変えることができました。たとえば、ヤシンがフランスから戻ってくるときに、家族を空港に迎えに行かせようとしたら、許可証がないとできないと教えられてやめたり、パレスチナ人の父親がユダヤ人の父親に会いにいく場面でもいろいろできないことがあって、変更しました。スタッフが混成チームだったので、シナリオ自体も豊かになりました。おっしゃるとおり、常にバランスを保つことを心がけ、注意深く撮りました。どちらかの主張に偏るような映画にはしたくなかった。両方に重点を置き、両方の声を聞く映画にしたかったのです。
ユダヤ系フランス人のレヴィ監督はアイデンティティに強い関心を持っている。『もうひとりの息子』では、その自己のテーマを掘り下げることが、イスラエルとパレスチナの問題から普遍的な世界を切り拓くことに繋がっている。私たちの心にも訴えかけてくるそんな普遍性は、東京国際映画祭サクラグランプリに相応しい。
聞き手:大場正明(映画評論家)