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2012.11.08
[イベントレポート]
「アーティストの仕事というのは、現実を見せること、それを議論すること、現実の自分と向き合わせることなのです」――10/25(木)アジアの風『沈黙の夜』:Q&A

10/25(木)、アジアの風『沈黙の夜』の上映後、レイス・チェリッキ監督と奥様でプロダクションマネージャーのメディク・チェリッキさんが登壇し、Q&Aが行われました。
沈黙の夜

©2012 TIFF

 
司会:チェリッキ監督はTIFFでは初めての紹介ですが、福岡国際映画祭に何度か来日されていて、いくつかの作品が福岡市の図書館に収蔵されています。それでは一言ずつご挨拶いただきましょう。
 
レイス・チェリッキ監督(以下、監督):皆様にこうしてお会いできることに、TIFFに対して厚く御礼を申し上げます。
私たちは世界のいろいろなところに行くことができます。そうした遠い所と我々を結んでくれる唯一のものは文化、芸術です。そして特に映画です。悲しみや喜び、花となるもの、歌…そうしたものを皆さんと共有することができます。トルコには富士山のようなアララット山という山があります。私はその山の麓で花を見ながら育ちました。私には信じていることがあります。それは、世界は小さくて、みんなの関心や喜びは同じであり、みんなで分かちあい、互いに知り合って対話をすれば、そういった素晴らしいものを守ることができるということです。アララット山の麓から花を持ってきて富士山に植えること、そして富士山の素晴らしい花を持ってアララット山に植える。こうすることにより互いに失われることのない友情を育むことができます。
沈黙の夜

©2012 TIFF

 
メディク・チェリッキさん(以下、メディク):皆さん、こんばんは。作品を見ていただき、ありがとうございます。夫ほど巧みに話せませんが…日本には初めてきましたが、日本にはとても関心がありました。
沈黙の夜

©2012 TIFF

 
監督:彼女を見ていると日本人じゃないかと思う時があります。
 
司会:この作品は、ベルリン国際映画祭のジェネレーション部門、つまり児童映画部門ですが、そのオーバー14というカテゴリー、つまり14歳以上の部門で、審査員もティーンエイジャーが審査をするのですが、その部門で最高賞を獲った作品です。ティーンエイジャーが高く評価したということについて、監督はどのようにお考えですか?
 
監督:そもそもこの作品は子供向けではなく大人向けに作ったのです。観客も大人が多かったです。大人は成人になって文化を蓄積していくはずなのにいかに文化がないかということを話し合おうとしたものだったのですが、そこでは児童部門で選ばれました。
 
司会:私もベルリンで見ましたが、ベルリンでは大変大きな体育館のようなところで、あふれるほどの子供たちが見ていました。
 
監督:世界中の国に行きましたが、多くの関心を持っていただきました。テーマが関心を惹くものだったのでしょう。多くの大人の方が見に来てくれました。世界を手にしている者たち、今日を作った男たち、そうした男たちが自ら向き合うべき多くのこと、罪や恥について語らなければならないのに、沈黙してしまっている。これはもしかしたら映画という媒体によって、打開することができるかもしれないと思ったのです。
映画を作るときに妻とともに元になる話を練りました。脚本を書きながら、ひとつの部屋の中で話がずっと続くと、観客が退屈にならないだろうかと心配しました。ただ、私はこういう形で説明したいと思ったのですが、そうした怖れを抱きつつ、今日もこんな夜遅くまで、皆さん、退屈されませんでしたでしょうか?
 
司会:皆さん、平気ですよね? それでは皆さんからの質問を受けたいと思います。
 
Q:なぜ彼は最後のシーンの行動を取ったのでしょうか。もう少し希望のある終わり方もあったと思いますが。
 
監督:まず申し上げたいのは、最後はどうなったかということは私もわからないのです。というのは、私もその部屋にいなかったものですから(笑)。次に、私は政治的に言いたいことがあって、映画で表現しようと製作しているのです。女の子たちにサインをせがまれるために映画を作っているわけではありません。体制というものがあって、人々を奴隷にして様々なことをやらせてしまう。帝国主義の支配者が、支配権を維持するために広島や長崎に原子爆弾を落としたことと同じようなものです。映画では爆弾を落としたパイロットは犠牲者であり、支配者によって強制されたのです。花婿も犠牲者なのです。花婿の口ひげは男らしさ、英雄ぶりを女性に対して見せつけるもので、その下には何があるのか、真実を探そうとしているのです。目に見える形式的なものなのか、それとも別なものなのか。つまるところ、人々を個人に到達させてあげたいのです。本当の自分自身を知るということを。
 
Q:日本には、天の羽衣、鶴の恩返し、雪女といった異類婚姻譚、つまり化け物と人間が結婚する話がたくさんあって、この作品をとても身近に感じながら見ました。つまり、日本ではそれだけ結婚に対する憧れが強かったのですが、現在の日本では結婚しない人が増えています。現在のトルコの結婚事情について伺いたいです。
 
監督: 世界中の問題は共通していることが多いのですが、なぜか私たちは、他の国のことを別の世界のことのように考えてしまいます。たとえば、福岡に行くと日本の北の方の人たちは保守的だと、ところが北の方に行くと今度はロシアの方が保守的だと、ヨーロッパに行くと東方の人の方が保守的だと言うでしょう。つまり、みんな自分の罪をほかの人になすりつけているだけなのです。どっちつかずの人がいると、その人がスケープゴートになってしまうのです。
というのは、私たちはさまざまな内面の罪、問題を抱えています。そういったものを自分ではわかっているのに、他の人になすりつけてしまう、他の人のことにしてしまう。そうすることで自分の問題を軽減できると思っているのです。問題はこういうことです。つまり、本来の自分と向き合うこと、現実の自分と向き合うこと、大変これは難しいことなのですけれど、しなければならないことで、向き合って自分がどういう者であるかということを定義づけることなのです。
ベルリンでの話があります。観客1920人が入っていた会場で、上映後、皆さんと同じように誰も出て帰りませんでした。関心を持っていただいたのでしょう。ある女性からの質問でしたが、トルコはEUに加入しようとしているのに、どうしてこんなに遅れているのか、子どもの花嫁という深刻な問題があるのになぜ解決しないのかと聞かれました。その日、偶然だったのですが、私はドイツの新聞記事の切り抜きを持っていました。そこには、空港でタイ行きの便に男性ばかりが並んでいる写真があって、その理由を新聞記者が調べていました。質問に対して私はこう言いました。これは似たようなことではないのですかと。そちらは発展している国であっても、違う形態で同じことをしているのではないかと。ですから、現実を見なければならないのです。
アーティストの仕事というのは、現実を見せること、それを議論すること、現実の自分と向き合わせることなのです。
 
司会:女優さんはプロフェッショナルですか、新人ですか?
 
監督:彼女はプロの女優ではありません。脚本を書いている時に、さまざまな町で探しましたがなかなか見つかりませんでした。ところがイスタンブールで、自分のアシスタントの提案によりある女子高校生と会ってみたら、私が探していた顔でした。演技をさせたら信じられないほどの才能の持ち主で、ラッキーでした。
 
Q:予告を見て、少女が犠牲になる映画なのかと思ったら、被害者は女性だけでなく男性も被害者だったということに衝撃を受けました。『沈黙の夜』というタイトルを見て静かな映画なのかなと思ったら、饒舌な夜を過ごす作品で、なぜこのタイトルを付けられたのでしょうか。
 
監督:なぜ『沈黙の夜』なのかということですが、原題は、クルド語で「言葉のない夜」という意味になります。これは富士山に似ていると言えます。外から見たら静けさに満ちていて、花が咲き、鳥が飛び、雲に包まれ、とても美しいです。ところが中では熱い溶岩がうごめいています。私は静かに沈黙している人を、いつでも火が噴出するような火山に例えています。現在、トルコではこうした結婚は法律で禁じられて、重い罰則もあります。しかし、法整備をしたからといって、私は国家体制から見ているのではありません。個人の内面が文明的になれば、こうした問題は解決できるのです。法律の抜け道はいくらでもあります。人間としての理性と目を持てば、正しい世界を作ることができると思います。
 
司会:メディクさん、最後に一言お願いします。
 
メディク:皆さんの反応がポジティブなものであると思っています。心からお礼を申し上げます。こんな遅い時間まで残っていただきありがとうございました。

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