篠崎誠監督(『あれから』)
篠崎誠監督の『あれから』は3.11の地震と津波の直後に東京に暮らす人々がどのように感じ、反応したかを描いた作品だ。篠崎監督はその時、日本“全体”を襲った異常な静けさと不安を完璧にとらえている。
――篠崎監督は長いキャリアがあり、様々なジャンルの映画を監督されていますが、今までに作った作品の軸となりこの映画にも見られるようなテーマやアイデア、またはインスピレーションなどはありますか?
篠崎誠監督(以下、篠崎監督):自分で自分の映画を分析したことはないので、いい答えがあるかどうか。もしテーマをひとつ選ぶとしたら、それはある種の人間の関係性ということになるかも知れません。
――この作品が面白いと思ったのは、他にも3.11を題材にしている映画を幾つか見ました。主に直接、被災者たちとの話を収めたドキュメンタリーです。あなたの映画は全く違うところに焦点を置いていました。3.11の地震があった時、あなたはどこにいましたか?
篠崎監督:僕自身は東京の自宅にいました。まさにこれから出かけようとしている時に、家が揺れたのです。まず、妻に連絡をしようと思ったのですが電話が通じませんでした。地震が発生したのは2時46分で、その時間は学校が終わり子供たちが帰ってくる時間だったのでとても心配になりました。まず小学校から帰ってくる子供たちを見つけました。そしてまだ親が遠くで働いていて、家に帰れない近所の子供が何人もいたので家で預かりました。親が心配しないように家でお子さんを預かっていますという張り紙もしました。地震の映像を見せると子供たちが心配するのでテレビは消して、親が迎えに来るまで家でずっと話をしていたのです。
――この作品の中の登場人物は、あなたが知っている人たちのことを描いているのか、それとも想像したものでしょうか?
篠崎監督:モデルになった人物はいます。僕自身の大学時代からの友人です。彼は10年ほどトラウマを負っていて、精神的な問題を抱えていました。彼は東北を離れて別の場所で安定した暮らしをしていたのですが、そんな時に地震が起こったのです。彼はまた精神的に追い詰められて、実際にひと月半ぐらい連絡がとれなくなりました。本作の恋人のキャラクターが彼だというわけではありません。しかし、モデルとなるそういうひとりの友人がいたことは確かです。その友人は実際に入院してしまいましたが、退院してから恋人の女性とめでたく結婚したのです。
――その実際の女性ですが、映画の登場人物と同じように、やはり彼としばらく連絡が取れなくなり、中途半端のまま放っておかれるような状況だったのですか?
篠崎監督:病院にいるということは家族から知らされていたのですが、彼がいつも通っている病院とは全然違う病院に移動していました。
――主人公の職業としてあなたは矯正靴店というか、特殊な靴の店主を選びました。特殊な職業を選んだ理由は何ですか?
篠崎監督:彼女の職業を何にするか決めるために、映画美学校の学生と議論をしました。最初はスーパーマーケットで働く、仕入れ担当をしている女性という案がありました。地震の時には物がなくなるので、水や食料が無くなったりするところを描くことができるからです。そして、だんだん日常に戻ってくると、生活のリズムを再び取り戻します。つまりそれを映画の物語とシンクロさせることができるのです。ですがちょっと説明しすぎる気がしたので、そのアイデアを使うことをやめました。その代わりに、映画美学校の岩崎君というプロダクションのアシスタントをしていた学生が、靴屋というアイデアを提案してくれました。私も実際、地震の時にハイヒールを履いているのが怖くて、スポーツシューズに買い替えたという女性たちの話を聞いていました。いいアイデアだと思ったもうひとつの理由は、靴屋というのはあまり映画の中に出てこないからです。それと同時に、足というのはいつも地面の上に接しているので、地面の揺れを一番感じられる器官のひとつだからです。
――誰かがこの作品の批評をすぐにネットに掲載していましたが、”soul”(魂)と”sole”(靴底)を結び付けていたのです。
篠崎監督:実際に靴屋を職業にする人たちに取材をしました。とても面白かったのは、映画の中でもそのように描かれていますが、靴屋はちゃんと足を測りその足にあった靴を作ります。その仕事には精神分析医みたいなところがあるのです。靴屋は足の底を触りながら、右か左か、どっちの足に体重がかかっていて、どういう仕事をその人がしているか分かります。本当に自分がしている事にプライドを持っているのです。ただ単に物を売ればいいのではなく、その人に本当に必要な物を売ることに誇りを持っているのです。
――映画の中で他にも幾つかとても抽象的な映像がありました。空の写真と鳥のモビールです。それらは、自由、開放性と空を飛ぶことを象徴しますが、映画の中では少し違うようにも見えます。そのことを教えてください。
篠崎監督:壁にあいた穴を閉じるために写真が必要になりました。どんな写真を貼るか学生たちからいろいろ意見を出してもらったのですが、あまり多くのアイデアは出ませんでした。これは必ずしもシンボリックにしようと考えたわけではなく、まず直感的に空のポスターが欲しいと思ったのです。
――それと鳥のモビールもありました。あれは見る人に空を連想させます。あなたは上から鳥のモビールの影が彼女の顔を横切る画を撮り、カットバックして彼女が目の前の鳥のモビールを見ている場面を撮っています。一瞬ヒッチコックの『鳥』の事を連想しました。私は自由や空を飛ぶというイメージよりも完全に圧制的なイメージとして感じられました。
篠崎監督:今の質問に対して、最初に答えた私の映画を全体的につなぐジャンルを超えたひとつのテーマについて話してみます。女性がたったひとりで部屋にいる。この場合、鍵がかかっているというわけではないので、出ようと思えば外に出られるのですが、彼女は出ません。彼女は閉じ込められているのですが、しかしそうではない…。そういうことに私は興味を持っています。
鳥についてですが、ヒッチコックの話になりましたけど、何か異変が起こった時、鳥は動物の中で最も敏感なのです。映画に協力してくれた学生がカモメのモビールを見つけました。それを使えないかと私に聞いたのですが値段が高かった。それでプロダクション・デザイナーの友人に同じようなモビールを作ってもらうことになりました。手作りのモビールだったのですが、わずかな動きや風で動くので、部屋の中で微妙な揺れを表現するにはとても役に立ちました。
――学生たちと多くのコラボレーションがあったようですね。コラボレーションによって映画作りはどのように展開していったのでしょうか?
篠崎監督:基本的なストーリーラインは私の頭の中にあって、最初にそれを14人の学生に伝えました。しかしこの方法で進めたら、「船頭多くして船山に登る」になる恐れがあったので、そこから先は私と酒井善三君だけで進めました。彼の出したアイデアをひとつ私が選びました。そのアイデアというのは、結婚式で彼女がビデオを見ていて別れた恋人に気がつくというシーンです。僕がさらに彼のアイデアに付け加えたディテールは、彼女がスクリーンに映し出される別れた恋人と、目が合うというものです。目は合っているのですが、撮られている人はすでに過去の人となっています。過去の何かとイメージがあうというメタ構造のようなものがあり、誰かが過去と繋がっているのですが、その外側では観客が映画という過去に撮られたものを見ていて、過去とつながっているのです。
篠崎 誠監督(左)と脚本を担当した酒井善三さん(右)
聞き手:ニコラス・ヴロマン(ライター)