吉野竜平監督(『あかぼし』)
『あかぼし』は吉野竜平監督のスリリングで感動的な長編デビュー作である。精神のバランスを崩し新興宗教にのめりこんでいく母親を、幼い息子の目を通して描く。
――以前、短編や他の作品を撮ったことは?
吉野監督:短編を何本か撮りました。
――それらの作品も今回の作品のように、家族をテーマにした登場人物を2~3名に絞ったものだったのでしょうか?
吉野監督:前回に撮ったのはゲイの中年男性とモテない女の子のふたりだけの芝居でした。『月のかげ』という作品です。東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されました。
――プロフィールには映画制作の現場のほかにラジオの仕事も手掛けておわれるそうですが。
吉野監督:ものすごく小さなコミュニティFMで、企画とディレクターと編集をやっています。
――俳優の演技がすばらしかったです。まずは朴璐美さんについて少しお話ください。
吉野監督:とてもパワフルな人で、それはスクリーンからも伝わっていると思います。彼女は人気のある声優で、過密スケジュールで仕事をしています。普段の仕事がなくて撮影に来られる日に撮影をしていました。元々は舞台俳優だったので、リハーサルから全力で演技をしてしまい、本番では疲れちゃうというのが困ったところではあります(笑)。
――舞台女優としても知られている方ですか?
吉野監督:舞台女優としてはそれほどではないかもしれませんが、出演した舞台の数は結構多いです。渡辺謙さんも所属していた演劇集団円という有名な劇団に所属しています。
――亜蓮くんの演技も素晴らしかったです。どうやって見つけたんですか?
吉野監督:オーディションで選びました。彼は蜷川幸雄さんの舞台によく出ています。オーディションで、「この芝居をやって」と言うと、他の子とまったく違うアプローチをしました。それでこの子しかいないな、と感じたわけです。
――笑顔の演技が印象的でした。自然な笑顔と、芝居がかった笑顔をちゃんと使い分けられているところが驚きです。
吉野監督:亜蓮のすごいところは、言わなくても僕がやりたいことを汲み取ってくれて、やりすぎでもなく、やらなさすぎでもない、本当に気持ちのいいところに演技をもってきてくれるところです。すごく助かりました。
――ブラダさんに関してはどうですか?
吉野監督:ブラダもオーディションに来てもらいました。芝居ができなくて、困っちゃったんですが(笑)。ひとつひとつ、キャラクターに関することを細かくふたりで話し合って、何とかここまでいったという感じです。
――彼女の外見でキャスティングをしたのですか?
吉野監督:思春期特有のすれた感じがあったのと、横顔が孤独な感じがしたので彼女がいいなと思いました。
――脚本をみっちり書き込まれたのではないかと思うのですが、役者には脚本通りに読ませたのでしょうか、それともアドリブもあったのでしょうか?
吉野監督:役者によって違います。朴さんと亜蓮はそれほど台本通りにはしませんでした。ブラダに関しては語尾や句読点の間の入れ方まで指導しました。
――ストーリーの着想はどこから得たのですか?
吉野監督:まず人間ドラマを長編で撮りたい、そして一番苦しい人間関係を撮りたいと思いました。宗教勧誘に使われる子供と母親という設定については、僕が子供の頃、家にそういう子供がよく訪ねてきていたので、その子たちの気まずい顔を思い出して、これは物語になるのではないかと考えました。
――宗教団体の宗教哲学や活動内容については実際の宗教団体に問い合わせるなど、リサーチをしましたか?
吉野監督:“エホバの証人”という団体はご存知ですか? 日本では名前を伏せて別の団体として名のっているのですが、その元信者の人――親が信者で、その関係で子供も信者になったが、今は脱退しているという7~8名に話を聞きました。その話を脚本に反映させました。
――宗教活動をするうえで、母親が子供を使うという残酷な一面を描きつつ、一方で、信者になって救われるというポジティブな面も描いていると思います。
吉野監督:この映画のラストシーンは、意見が分かれるところだと思いますが、母親の視点から見るとハッピーエンドです。でも子供から見ると――僕は男だから男の子に感情移入してしまうのですが――どうしようもないくらいにバッドエンドです。観る人によって、見方はいろいろ変わる作品だと思います。
――朴璐美さん演じる母親は夫に蒸発され悲しみのどん底にいるけれども、宗教団体と出会い、布教に回ることで救われていく。これはポジティブな側面です。だがその後、彼女は極端に解釈して常軌を逸してしまう。カルトの善悪両面を描いていますね。
吉野監督:その母親をひとりの人間として観客が許せるかどうか、それがテーマだと思います。
――本作の子供の描き方について伺います。保(亜蓮)は父親代わりとして責任を押しつけられ、カノン(ブラダ)は大人の女性へと変化する過程にあり、カルトの外で自分の生き方を見出そうとするもあまりうまくいっていない。子供たちが成長を急がされ、子供として生きることを奪われている姿を描いていると思いました。
吉野監督:海外でもそういう現象があるかどうかは分からないですが、日本では少し前から「アダルトチルドレン」という現象がありました。未成熟な親や周囲の環境のせいで、感情を押し殺して子供らしくなく育ったために、内面的に問題を抱えて大人になった人たちのことです。保とカノンはふたりセットでそういう社会状況を象徴しているのです。
――カノンが「あかぼし」の話を保にします。彼女は大阪に行く車窓から空を見上げるけれど建物が見えるだけ。保は家に戻り、空にはたくさんの星がきらめくけれど導いてくれるあかぼしはない。とても悲劇的な印象を受けました。
吉野監督:街の灯りによってかき消されてしまう星の光というのが、カノンの象徴という意味は込めました。カノンには星はひとつも見えないのだけれど一生懸命探してしまう。そのことは、父親を常に求めてしまうカノンの気持ちも表しています。
――保が受けるいじめについては?
吉野監督:学校で起こっている実力行使のいじめというのは、あんなものじゃないと思います。さらに今のいじめの恐ろしいところは、インターネットが使われるので保の状況よりももっと居場所がなくなると思います。
――保もカノンも父親がおらず、ふたりともそのことに深く影響を受けています。カノンは今も父親を探している一方で、保はもう二度と父親と触れることはない。
吉野監督:父親の不在というのは今の日本社会を象徴するものだと、僕はどこかで思っています。父親がいない家庭をどんどん大きくすると日本になると。それを描きたかったのだと思います。
――各登場人物の背景は決めているのですか?
吉野監督:僕は脚本を書くうえで、各人物について細かい履歴書のようなものを作ります。
――各キャラクターの過去と共に、未来の姿も考えますか?
吉野監督:保には悲劇しかないだろうな、と思います。
――母親は変わらないでしょうからね。監督がこの作品を撮るにあたって、また映画製作を志すにあたって影響を受けた映画監督やアーティスト、作家はいますか?
吉野監督:この作品を撮る前に撮影監督に見るように言ったのは、ダーレン・アロノフスキー監督の『レスラー』と、韓国のイ・チャンドン監督の『シークレット・サンシャイン』、それと市川準監督の『大阪物語』です。
――『レスラー』は意外ですね。
吉野監督:保が校舎から出ていく後ろ姿を撮っているシーンがあります。その後いじめられっ子に声をかけられるのですが、『レスラー』では主演のミッキー・ロークのバックショットが多用されていて、実はそこを意識しました(笑)。
聞き手:ニコラス・ヴロマン